1923年から1950年まで
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「トルコ国鉄」の記事における「1923年から1950年まで」の解説
共和国成立前、鉄道路線は外国の会社の利益のために建設が宣言されていたが、共和国の成立後は、自国のための鉄道路線が建設された。これは鉄や石炭などを基礎とした1932年から1936年までの間に公表された工業化計画に明確に見ることができる。これらの鉱石などを輸送する最も安価で最も効率的な方法が鉄道建設であった。この間交通に関する財政上の資産は鉄道に向けられた。 期間が短かったため鉄道建設はハイスピードで続けられた。第二次世界大戦の間は建設のスピードが低下した。1923年から1950年までの間に3,578kmが建設されたが、そのうちの3,208kmは1940年以前に完成した。 そうした頃に鉄道は国民経済計画に組み込まれた。鉄道建設の目的は以下のように表明されている。 潜在的な生産拠点と天然資源を結びつけること。 生産拠点と消費地、特に港とを結びつけ、農村部とのコミュニケーションを円滑にすること。 国の経済発展の速度を上げるため、商業的に未開発の地域を接続すること。この政策により、1927年にカイセリ、1930年にスィヴァス、1931年にマラティア、1933年にニーデ、1934年にエラズー、1935年にディヤルバクル、1939年にエルズルムが鉄道網に接続された。 国の安全度を高めること。したがって、鉄道を含めた国内の総合的なコミュニケーション網を作り出すこと。 これらの目的を達成するため、鉄道政策は2段階に集約された。 財政的問題にもかかわらず、外国の会社にされていた鉄道は買収されて国有化された。その一部は合意の上で行われた。 それまでの鉄道路線のほとんどがトルコ西部に集中していたため、中央部と東部を貿易拠点や海岸に接続することが目的となった。この期間に新たに建設された区間は、アンカラ - カイセリ - スィヴァス, スィヴァス - エルズルム(コーカサスルート)、サムスン - カルン(スィヴァスルート)、ウルマック - フィリヨス(ゾングルダク石炭ルート)、アダナ - フェヴズィパシャ - ディヤルバクル(銅ルート)、スィヴァス - チェティンカヤ(鉄ルート)である。共和国成立以前は、アンカラ - コンヤ間より西側に全体の70%の線路網が広がっていたが、成立後の建設区間は東側が78.6%を占め東西間比率は54%:46%に達した。 1935年から1945年の間にそれらの鉄道が結ばれ、それらが結合されたことにより環状部分が形成され、例えばアンカラ - ディヤルバクル間の距離は1,324kmから1,116kmへ短縮された。
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