1911年死刑確定囚
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「日本における死刑囚の一覧 (-1969)」の記事における「1911年死刑確定囚」の解説
事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)幸徳事件(幸徳秋水) 1911年1月 1910年6月 天皇の暗殺を計画した大逆罪の首謀者として死刑、判決6日後の1月24日に死刑執行(39歳没)。ただし実際には死刑判決を受けた24人(12人は恩赦減刑)のうち、陰謀に加担していたのは5人のみであり、幸徳秋水も含む19人は冤罪だったと言われている。政府による社会主義者弾圧事件であったとされている。 幸徳事件(管野スガ) 1911年1月18日 1910年6月 女性の社会運動家、彼女のみ1月25日に死刑執行(29歳没)。実際に陰謀に加担していた。 幸徳事件(森近運平) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(30歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 幸徳事件(宮下太吉) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(25歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 幸徳事件(新村忠雄) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(23歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 幸徳事件(古河力作) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(26歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 幸徳事件(奥宮健之) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(44歳没)。 幸徳事件(内山愚童) 1911年1月18日 1910年6月 僧侶の社会主義者。1月24日に死刑執行(36歳没)。 幸徳事件(大石誠之助) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(43歳没)。 幸徳事件(松尾卯一太) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(31歳没)。 幸徳事件(新美卯一郎) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(32歳没)。 幸徳事件(成石平四郎) 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(29歳没)。兄も同罪として死刑判決を受けたが恩赦減刑。 幸徳事件(高木顕明) 1911年1月18日 1910年6月 住職を務める和歌山県の浄泉寺で幸徳の談話会を寺で開催したことを咎められ死刑判決。後に恩赦減刑されたが1914年に自殺(50歳没)。判決前に僧籍剥奪処分を受けたが1996年に僧籍復帰の名誉回復が行われた。 幸徳事件(峯尾節堂) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1919年に獄死。 幸徳事件(岡本一郎) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1917年に獄死。 幸徳事件(三浦安太郎) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に自殺。 幸徳事件(佐々木道元) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に獄死。 幸徳事件(成石勘三郎) 1911年1月18日 1910年6月 弟平四郎とともに同罪として死刑判決を受けたが弟処刑後に恩赦減刑された。1929年仮出所、1931年死去。 幸徳事件(坂本清馬) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑。1934年仮出所、1947年特赦。1961年に再審請求したが1967年に最高裁で棄却。1975年死去。 幸徳事件(崎久保誓一) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1955年死去。 幸徳事件(武田九平) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1932年に事故死。 幸徳事件(飛松与次郎) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1925年に仮出所、1953年死去。 幸徳事件(小松丑治) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1945年死去。 幸徳事件(岡林寅松) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1948年死去。
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