1870年 - 1880年とは? わかりやすく解説

1870年 - 1880年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 04:30 UTC 版)

リーハイ・バレー鉄道」の記事における「1870年 - 1880年」の解説

1870年代になると、リーハイ・バレー鉄道ニュージャージー州への延伸へと視点移した東部においてもっとも重要な市場ニューヨークであったが、リーハイ・バレー鉄道ニューヨークまでの輸送に際してセントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーモリス運河依存していた。1871年リーハイ・バレー鉄道は、マンハッタンハドソン川はさんで対岸にあるジャージーシティ終点があるという価値のあるモリス運河借り受けた。アサ・パッカーはニュージャージー・ウェスト・ライン鉄道英語版)を支援して運河沿線さらなる土地購入したが、これはニュージャージー・ウェスト・ライン鉄道リーハイ・バレー鉄道ターミナルとして利用することを望んでのものであった。この計画うまくいかなかったが、土地はのちに1889年になってリーハイ・バレー鉄道独自のターミナル駅活用された。 セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーは、リーハイ・バレー鉄道ニュージャージー横断する自社線を建設しようとしていることをみて、自社防衛するためにリーハイ・アンド・サスケハナ鉄道 (Lehigh and Susquehanna Railroad) を借り受けて石炭輸送供給源確保し続けようとした。リーハイ・アンド・サスケハナ鉄道は、リーハイ炭鉱汽船英語版)により1837年路線特許受けて運河の上流側終点のモーク・チャンクからウィルクスバリまでを結ぶことを目的としていた。リーハイ・バレー鉄道開業してからは、リーハイ・アンド・サスケハナ鉄道1868年フィリップスバーグまで延伸し、セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーおよびモリス・アンド・エセックス鉄道英語版)と連絡した1871年にはフィリップスバーグからウィルクスバリまでの全線セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージー借り受けた。ほぼ全線わたってリーハイ・バレー鉄道並行していた。 モリス運河経路鉄道用には非現実的であると判明しリーハイ・バレー鉄道1872年ニュージャージー州パースアンボイ通じ休眠免許保有していたパース・アンボイ・アンド・バウンド・ブルック鉄道 (Perth Amboy & Bound Brook Railroad) を買収し、さらにこれにバウンド・ブルック・アンド・イーストンの新し路線免許加えた。これらの鉄道会社合併してイーストン・アンド・アンボイ鉄道英語版となった。まもなくパース・アンボイ石炭埠頭建設されイーストンからパース・アンボイまでのほとんどの区間路線整地され線路敷かれた。しかしこの経路では、パッテンバーグ (Pattenburg) 近くのマスコネットコング山(英語版)に全長4,893フィート(1,491 m)のトンネルが必要であり、これは難工事となって路線開通1875年5月まで遅れることになった予想されていた輸送量増加備えてイーストンにおいてデラウェア川かっていた木造全長1,191フィート (363 m) の鉄製複線置き換えられた。 リーハイ・バレー鉄道創業者指導者であったアサ・パッカーは、1879年5月17日73歳死去した彼の死の時点で、リーハイ・バレー鉄道年間440トン石炭を657マイル (1,057 km) の路線輸送しており、機関車235両、石炭車24,461両、その他の各種貨車を2,000両以上運行していた。30,000エーカー(約12,000ヘクタール)の炭鉱土地所有しており、ニューヨーク州およびニュージャージー州へと急速に拡大しつつあった。リーハイ・バレー鉄道1873年恐慌にも耐え、業績回復しつつあった。アサ・パッカーの下で副社長務めていたチャールズ・ハーツホーン (Charles Hartshorne) へと会社経営円滑に引き継がれた。1883年ハーツホーン引退し、アサ・パッカーの息子32歳だったハリー・パッカー (Harry Packer) に社長を引き継がせた。1年後、ハリー・パッカーは病気死去し、アサ・パッカーの甥で51歳のエリシャ・パッカー・ウィルバー (Elisha Packer Wilbur) が社長に選ばれ13年務めた

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