1870年代〜19世紀末
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「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「1870年代〜19世紀末」の解説
1870年代半ばまでにLB&SCRは路線の集中運用と運営費の削減を中心とした施策によって財政的健全性を取り戻した。1870年から1889年の間に、年間収益は130万ポンドから240万ポンドと100万ポンド以上増加したが、運営費の増加は65万ポンドから100万ポンド強とわずか35万ポンドに抑えた。これにより、同社は新線建設や施設改善に乗り出すことができた。ただ、建設された新路線のいくつかは人口の少ない地域から既に鉄道網が整備されている町への短距離路線であったため、利益を上げることができなかった。それでもこれらの新線建設を行なったのは鉄道アクセスを望む地元住民からの圧力と、それらの地域に競合他社が路線を敷いてしまうことへの恐怖によるものだった。 一方ロンドン郊外の新規路線開拓は、同鉄道の財政健全化に大きく貢献した。1880年代後半までに同社はロンドン郊外にロンドン・ブリッジ駅とヴィクトリア駅の間にサウス・ロンドン線(英語版)、アウター・サウス・ロンドン線、クリスタル・パレス線(英語版)の3路線を建設し、全長109kmにも及ぶ国内最大の路線網と国内最高の運賃収入を手に入れた。公式報告書では1889年の4月から6月までの間に、10万本以上の旅客列車を運行したとされており、これはイングランド南部のみで運行している他のどの鉄道会社よりも多かった。
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