1870年代の経済の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 03:53 UTC 版)
「1877年の鉄道大ストライキ」の記事における「1870年代の経済の状況」の解説
1873年にヨーロッパで「大不況」と呼ばれる深刻かつ大規模な経済不況が発生すると、アメリカ合衆国に対するこの沈滞の影響は、9月18日のジェイ・クック銀行の破綻という形で及んだ。クックは国内でも最大の投資銀行であり、ノーザン・パシフィック鉄道の大株主であり(同時に他の鉄道会社にも出資していた)、政府の戦時負債の大半を扱っていたので、その破綻は破壊的な影響を生んだ。これに影響されたアメリカ経済はあちこちで綻びが生じ、続いて崩壊した。クックの破綻から間もなくニューヨーク証券取引所は10日間取引を停止し、預金残高は底を突き、差押えと工場閉鎖が日常のものになって、他の銀行が破綻した。国内364の鉄道会社のうち、89社が破産したのを始め、1873年から1875年の間に18,000社が破産し、1876年までに失業率は14%にまでなり、雇用されている者も1年のうちに6ヶ月しか働けず、賃金は45%がカットされ、日給はおよそ1ドルという状況になった。この経済崩壊は現在1873年の恐慌と呼ばれている。 大衆は経済操作を誤ったユリシーズ・グラント大統領と連邦議会を非難し、特にグラントの通貨供給量を緊縮する金融政策を非難したが、現実にはその原因にもっと深い物があった。南北戦争の終了と共に、アメリカは熱狂的で無秩序な成長を経験し、特に鉄道産業には政府が大量の土地認可と助成金を与えていた。かくして国中で鉄道が過剰に建設され、銀行は預金を元手に過剰な鉄道への投資に走り、恐慌への下地を作っていたところに不況が及んだ。この不況から脱出するのは1878年から1879年までかかった。
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