1870年代の改築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 07:57 UTC 版)
「ブリストル・テンプル・ミーズ駅」の記事における「1870年代の改築」の解説
新たな路線の開業により駅の乗り場は逼迫して、ブルネルのターミナルに短い140 ヤード(約130 m)のプラットホームが追加された。改築を認可する議員立法が1865年に通過したことで、1871年から1878年に掛けて駅は広範囲に改築された。ブルネルのプラットホームは212 ヤード(約194 m)までロンドン方向へ向かって延長され、またかつて急行ホームがあった場所に新しい3本の直通ホームが建設された一方で、もとのブリストル・アンド・エクセター鉄道の駅は取り壊され、その場所は新しい車庫に利用された。この工事は、ブルネルのかつての同僚であったマシュー・ディグビー・ワイアット (Matthew Digby Wyatt) の作であると一般に考えられているが、駅の合同委員会の議事録には彼の関与を示す文献的な証拠は残されていない。図面にある唯一の署名は、ブリストル・アンド・エクセター鉄道の技術者であったフランシス・フォックスのものである。新しい直通プラットホームに掛けられたトレインシェッドは曲線を描いた鍛鉄で造られており、全長は500 フィート(約150 m)あった。貨物取扱所では、不便な貨車取り扱いホイストがテンプル・ミーズ駅東端からの急なインクラインに改築されて、これにより貨物取扱所の中の側線が従来とは直角な向きに変更され、また艀用のドックは埋められた。 ブリストル・アンド・サウス・ウェールズ・ユニオン鉄道とミッドランド鉄道の列車は行き止まりホームから運転され、一方グレート・ウェスタン鉄道は新しい直通ホームから運転された。この工事の費用はグレート・ウェスタン鉄道/ブリストル・アンド・エクセター鉄道が14分の4、ミッドランド鉄道が14分の10で分割された。また経常経費に関してはグレート・ウェスタン鉄道が8分の3、ミッドランド鉄道が8分の3、ブリストル・アンド・エクセター鉄道が8分の2で分割された。グレート・ウェスタン鉄道がブリストル・アンド・エクセター鉄道を1876年に合併したので、この比率は1948年1月1日のイギリス国鉄による国有化までグレート・ウェスタン鉄道が8分の5、ミッドランド鉄道(後のロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道)が8分の3となった。
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