1869年~1870年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/25 18:01 UTC 版)
「シンシナティ・レッドストッキングス」の記事における「1869年~1870年」の解説
1869年に全米野球選手協会が規定を設けてプロの野球選手を認可し、レッドストッキングスはプロの選手だけで構成された初めての「プロチーム」となる。以下は「ファースト・ナイン」と呼ばれる、レッドストッキングスの選手の一覧である。 投手 :エイサ・ブレイナード(Asa Brainard) 捕手 :ダグ・アリソン(Doug Allison) 一塁手:チャーリー・グールド(Charlie Gould) 二塁手:チャーリー・スウィージー(Charlie Sweasy) 三塁手:フレッド・ウォーターマン(Fred Waterman) 遊撃手:ジョージ・ライト(George Wright) 左翼手:アンディ・レナード(Andy Leonard) 中堅手:ハリー・ライト(Harry Wright)※監督兼任 右翼手:カル・マクベイ(Cal McVey) 控え :ディック・ハーレイ(Dick Hurley) レッドストッキングスは上記のメンバーで1869年と1870年の2シーズンを戦った。1869年は東部の巡業を含め57戦で負けなしの成績を残し、翌1870年6月にブルックリンのアトランティック・クラブに11回で7対8で敗れるまで、84連勝を続けた。しかし1870年は戦績が67勝して6敗だけだったにも関わらず、上記のアトランティック・クラブ戦の敗戦以降、シンシナティのファンのレッドストッキングスに対する関心は急速に失われることになっていった。8月には社長だったアーロン・チャンピオンが辞任する。新たに社長となったA.P.C.ボンテは、急速に悪化したチームの財政から、この年の11月21日に、プロの選手達と1871年シーズン契約しないことを宣言した。
※この「1869年~1870年」の解説は、「シンシナティ・レッドストッキングス」の解説の一部です。
「1869年~1870年」を含む「シンシナティ・レッドストッキングス」の記事については、「シンシナティ・レッドストッキングス」の概要を参照ください。
- 1869年~1870年のページへのリンク