1868年以降の回帰と消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 06:48 UTC 版)
「ブローセン彗星」の記事における「1868年以降の回帰と消滅」の解説
1862年の回帰では観測することができなかったが、1868年再度観測された。この次の回帰に至るまでにまた木星に接近したため公転周期が短くなり、1873年接近時には地球からでも見えるようになっていた。更に1879年の回帰では4ヶ月も観測でき、これまでの中では最も長く観測できる接近であった。 1884年には観測に不向きな状況であったため観測できなかった。しかし、1890年には観測に適していたのにもかかわらず、ブローセン彗星は現れなかった。さらに1895年はまた観測に不向きな状況であったため観測できなかったのだが、1901年に観測に適していたときも観測されなかった。 この後、本格的に研究が再開されたのは1963年にブライアン・マースデンにより研究されたときである。彼はブローセン彗星はもう存在しないと考えていたが、1973年に観測に適すると計算した。日本の天文学者らはブローセン彗星を捜索したが再発見することはできず消滅した彗星とみなされるようになり、符号にDが付くようになった。
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