こふく‐げきじょう〔‐ゲキジヤウ〕【鼓腹撃壌】
鼓腹撃壌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 01:55 UTC 版)
堯の御世も数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに、天下が本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているか、かえって不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子供たちが、堯を賛美する歌を歌っていた。これを聴いた堯は、子供たちは大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふと傍らに目をやると、老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら(鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。 原文書き下し文現代語訳日出而作日入而息鑿井而飲耕田而食帝力何有於我哉 日出でて作(な)し、日入りて息(いこ)ふ。井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。帝力何ぞ我に有らんや。 日の出と共に働きに出て、日の入と共に休みに帰る。水を飲みたければ井戸を掘って飲み、飯を食いたければ田畑を耕して食う。帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。 この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる(『十八史略』)。 ウィキメディア・コモンズには、堯に関連するカテゴリがあります。
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鼓腹撃壌
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成句
由来
- 中国本土で一般的な「擊壤鼓腹」の形では、『芸文類聚』に収録された『梁王僧孺為韋雍州致仕表』中に「仰朱闕而掩涕,向濛谷而自悲,豈復式瞻拱默,仰接鍾鼓,儻帷蓋未親,東岳稍駐,擊壤鼓腹,其賜猶多。」が見られる。
- 「撃攘」が太平の世と関連したさらなる出典は、『論衡』「堯時五十之民擊壤於塗。觀者曰『大哉堯之德也』擊壤者曰『吾日出而作、日入而息、鑿井而飲、耕田而食、堯何等力』」、「帝何力於我哉」の句は『芸文類聚』が引く『帝王世紀』中の「天下大和,百姓無事,有五十老人,擊壤於道。觀者歎曰『大哉。帝之德也』。老人曰『吾日出而作,日入而息,鑿井而飲,耕田而食,帝何力於我哉』。」に見られる。
- 「鼓腹」は、『荘子・馬啼』「夫赫胥氏之時、民居不知所為、行不知所之、含哺而熙、鼓腹而遊、民能以此矣。」からか。
翻訳
品詞の分類
名詞およびサ変動詞(様子) | 発狂 荒蕪 鼓腹撃壌 醸出 四散 |
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