鷗外研究への貢献とは? わかりやすく解説

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鷗外研究への貢献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 08:34 UTC 版)

小堀杏奴」の記事における「鷗外研究への貢献」の解説

奴は、鷗外の子供4人の中で、長男於菟次いで父の回想記著した。『明星』の後継誌『冬柏』(とうはく与謝野寛・晶子主宰)に「晩年の父」と「思出」を相次いで発表し1936年昭和11年)に「母から聞いた話」と併せて晩年の父』を刊行した同書で、1888年明治21年)に4年間の留学終えた鷗外を追うようにドイツ人女性来日していたことを於菟次いで紹介した1890年明治23年)に鷗外小説舞姫』が発表されたときから世間知られておらず、於菟祖母から聞いた話として公表していた)。また、日露戦争出征中に鷗外激戦地南山舞台つくった扣鈕』(ぼたん)の一節「こがね髪ゆらぎし少女」を、そのドイツ人女性ではないかとし、その女性と鷗外長い間文通をしていたこと、死期悟った鷗外が妻に女性写真手紙の束とを焼かせたこと等を公表した。 もっとも、鷗外の妹小金井喜美子は、回想記奴の行為秘密の暴露)を、たしなめながら、鷗外追ってきたドイツ人女性を「路傍の花」と表現した後年奴は、エッセイで「亡父が、独逸留学生時代恋人を、生涯、どうしても忘れ去ることの出来ないほど、深く愛していたという事実に心付いたのは、私が二十歳過ぎたであったと書いた。いずれにせよ於菟奴により、鷗外追ってきたドイツ人女性存在などが明らかにされたことは、鷗外研究大きな転機になった。かつて『森鷗外』(1932年)を刊行した木下杢太郎は、次のように記した原稿執筆していたとき「先生創作随筆読んだあとに、いつも諦めの心に似る寂し感情の湧起すると云ふことを注意しました。その何故であるかは当時深く追究してませんでしたが、其後森家の方々先生に関して書かれるものを見るにつけ、少しずつ其所因が理解せられるやうに思はれたのです。」 晩年奴は、鷗外主人公にしたテレビドラマ獅子のごとく』(TBS1978年)が放送されたこともあり、全国各地講演などをした。 なお、2004年平成16年11月5日、『朝日新聞朝刊一面トップに、奴の遺品から鷗外書簡100余通が発見されたと報じられた。遺品には、トラック一台分の古書のほか、衣装入れクリアケース書簡類があった。書簡多く全集収録されいたものの、現物がはじめて公開された。また、奴が『晩年の父』で「女学校入学試験の時二人で勉強した地理歴史抜書製本したもの」と記述した鷗外手作り教材公開された。

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