魔術的パラダイムシフト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 04:22 UTC 版)
「ケイオスマジック」の記事における「魔術的パラダイムシフト」の解説
けだしケイオスマジックの最もきわだった特徴は魔術的パラダイムシフトというコンセプトである。キャロルは哲学者トマス・クーンの言葉を借りて、魔術の世界観(パラダイム)を恣意的に転換させるという技法をケイオスマジックの主要コンセプトとした。魔術的パラダイムシフトとは、たとえば、ラブクラフト的儀式を行ったかと思えば、次の儀式ではエドレッド・ソーソンのルーン魔術本から採った技法を用いる、といったもの。この二つの魔術的パラダイムはとても異なっているが、個人が一つのパラダイムを使っている間は、他のすべての(しばしばそれとは矛盾した)パラダイムを無視するほどにまで、それをすっかり信じ込んでいるのである。信念体系を意のままに変えることはディスコーディアニズムの信奉者たちも実践することがある。 「何も真実ではない、すべては許されている」は、よく引き合いに出されるケイオスマジックのモットーであるが、これは中世ペルシアのアサシン教団の教主ハサン・サッバーフの言葉とされ、フリードリヒ・ニーチェが『道徳の系譜』第3論文24節で用いた引用句である。クロウリーの「汝の意志するところを為せ、を法のすべてとせよ」と同様に、この文句はしばしば誤って「客観的真理などというものはない、だから何であろうと自分の選んだことを行うのは自由だ」と文字通りの意味に解釈される。しかし「何も真実ではない、すべては許されている」とは、解釈を敷衍すれば「私達の知覚を離れた客観的真理などない、ゆえに、あらゆることは真実であり可能である」という意味になる。 IOT(英語版)においてはこれが言葉通りに考えられていたとされる。参入儀式において「あなたは究極の真実がないと知っているか?」と尋ねられるということを元IOTメンバーの黒野忍が著書に記している。 信念 (信仰/信受) は受動的に無意識的に信じ込むだけのものではなく、自らの意志によって意識的に利用できるツールであるということ。一部のケイオスマジシャンは、普通ではない奇抜な信念を試みることはそれ自体価値のある経験だと考えている。彼らにとって信念の柔軟性は、ある種の強みであり、神経回路が型に嵌らず自由に機能しているという意味での自由である。一方、魔術作業にはどんな「信念」も必要ないと言うケイオスマジシャンもいる。
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