高野山時代
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2003年、お遍路仲間に勧められて高野山大学大学院文学研究科の社会人コースに入学。当初は新聞記者を務めつつ週1回の通学であったが、2005年に早期退職して得度。四国遍路の巡礼について、現代の実態や番外札所を調べ、修士論文にまとめる。2007年修士課程修了。同年11月、『公認先達が綴った遍路と巡礼の実践学』が出版される。なお、関西先達会では役員を務め、歌一洋の「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」にも協力した。 一方、柴谷は高野山に家を移し、岡山大学病院で性同一性障害の診断を受ける。通院を続け、同病院で2010年に性別適合手術を済ませ、戸籍の性別を男性から女性に変更する。僧籍の性別変更は高野山でも異例のことであり、男社会であることから反対もされたが、宗務総長の配慮で事務手続きのみでスムーズに変更が完了する。博士課程の研究では澄禅の『四国辺路日記』を題材に選び、フィールドワークで澄禅の足取りを確定させた。 2013年、高野山大学で博士(密教学)の学位を取得し、高野山本山布教師心得の資格も得る。高野山真言宗大僧都。高野山大学密教文化研究所の受託研究員(のち、委託研究員(2018年現在)。)2014年、巡礼遍路研究会が設立され、柴谷は事務局長に就任。年末には88回目の四国八十八箇所巡礼を達成した。また、園田学園女子大学の公開講座でも講師を務めるようになる。
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