駅移転と連続立体交差
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:55 UTC 版)
地上駅時代の八田駅は現在より500m西側の中川区八田本町に位置した。かつてより「八田総合駅」構想があり、旧国鉄時代から名古屋市は駅の現在地への移転を求めてきたが、当時は貨物の取扱い駅でありこれに伴う移転費用など協議が難航していた。 また周辺は南北に走る幹線道路があるが名古屋中心部と比べ道路幅は狭く交通渋滞が頻繁であった。更に朝夕の通勤時間帯には関西本線と並行して走る近鉄名古屋線の列車本数が多くなることから「開かずの踏切」が発生し車や歩行者による鉄道事故が起きやすくなっていた。このことにより、連続立体交差化事業計画が持ち上がった。 国鉄民営化後に貨物の取扱いを廃止により駅移転の協議が両者間で進むことになり、JR八田駅移転及びJR線・近鉄線連続立体交差化事業を一括にして工事を行うことになった。駅移転工事の際、待避線となっていた中線が使用できなくなることから列車の運行に支障が出ないよう八田 - 春田(当時は春田信号場)間に伏屋信号場が1998年(平成10年)9月28日開設した。 駅移転及び連続立体交差工事は上り線側から始まり2002年(平成14年)4月7日駅移転工事が完成。駅ホームは下り線を2番(現在は待避線の中線)、上り線は3番として暫定開業した。現在の1番線(駅前ロータリー側)のホーム下は移転用の仮設線路を設けていた為に未完成のままだった。先行して開業した2・3番ホームはポイント及び信号設備等の関係で2番線の下り線は名古屋寄り、3番線の上り線は桑名寄りにそれぞれ乗車口があった。 その後、2003年(平成15年)10月31日に現在の下り線となる1番ホームが完成。暫定だった下り線2番ホームは待避線の切替工事を行いその後、中線となり全面開業した。これにより伏屋信号場はその役割を果たし2005年(平成17年)1月30日廃止された。 こうしてJR・地下鉄・近鉄の乗り換えの距離が短縮され、同時に周辺の踏切も撤去され幹線道路の拡幅や駅前も整備もされた。ただし、同じ名古屋市にある「金山総合駅」に比べると規模は小さく、普通列車しか停車しない。2015年(平成27年)現在、鉄道3線のうちでは地下鉄の利用者が最も多い。なお現在のJR駅の位置は高架化前の近鉄八田駅の位置に近いところにある。 当駅付近のJR関西線を複線化する計画があるが、2013年(平成25年)9月現在において事業が凍結されたままとなっている。
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