馬渕健一とは? わかりやすく解説

馬渕健一

読み方まぶちけんいち

馬渕健一とは、株式会社マブチモーター創設者である。1922年11月13日生まれ小型モーター分野掛けて世界トップシェアを誇るマブチモーター社の礎を築いた人物として名を馳せている。2005年7月17日逝去

1946年事業興した馬渕健一は、起業翌年フェライト磁石用い馬蹄マグネット小型モーター開発し業界大反響呼んだその後も、製品たゆまぬ改良と、量産化成功によって、小型モーターにおいては他の追随を許さないほどのメーカーへとたちまちに成長していった。

マブチモーターは、手軽な価格と、構造単純さで、子供向け玩具動力としておいて人気博した戦車プラモデルミニ四駆全盛だった時代に、マブチモーター少年たちにとってのトップブランドとして君臨したその後マブチ玩具から実用モーターへと裾野を広げる家庭用電子機器電動歯ブラシシェーバーなど)や工具自動車のパワーミラーなどへと事業拡大していった。そうしてモーター業界シェア位置揺るぎないものにしていった

馬渕健一はまた、中堅企業中でも特に充実した経営理念打ち出し反映させることに成功した人物として評価されている。1960年代には早くも国際社会への貢献とその継続的拡大」という声明打ち出しており、2000年に入るこの経営理念を実経営如実に反映させるべくプラン整備行っている。例えば「より良い製品をより安く供給するということ注力し、製品中国アジア集約させて大量生産する(日本には、本社開発事業部のみ置かれてある)など、早期からの徹底した製造コスト戦略行っている。その先見の明は、モーター業界リーディングカンパニーとしてだけでなく、ニッチ産業典型的な成功例として、各界から評価されている。


更新2006年1月
参照リンク
MABUCHI MOTOR

馬渕健一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/07 13:31 UTC 版)

馬渕健一(まぶち けんいち、1922年11月13日 - 2005年7月16日)は、マブチモーター創業者である。小型モーターのシェアが世界一となるような企業に育てあげた。

年表

  • 1922年11月13日:香川県高松市ブリキ工場を営んでいた家に生まれる。
  • 1946年:関西理科研究所を創業する。小型マグネットモーターを開発する。
  • 1954年:東京科学工業を創業する。
  • 1971年:社名をマブチモーターに変更。
  • 1985年:社長を弟の馬渕隆一に譲り、会長に就任。
  • 1999年:会長を引退し、名誉会長職に就任。
  • 2002年8月5日:弟・隆一の妻・長女(それぞれ、健一の義妹・姪)が、この日発生したマブチモーター社長宅殺人放火事件で殺害された。
  • 2005年7月16日:前述の事件の解決を待つことなく、心不全のため、松戸市松戸の新東京病院で死去。82歳没。



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