頸髄損傷と歌手への転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:19 UTC 版)
「ハヤブサ (プロレスラー)」の記事における「頸髄損傷と歌手への転身」の解説
2001年5月の川崎球場大会で欠場から復帰してサスケとタッグを結成し雁之助&黒田組に勝利。10月22日、後楽園ホールの対マンモス佐々木戦でハヤブサは試合中のアクシデント(ラ・ブファドーラの失敗)により頚椎を損傷の重傷を負った。ハヤブサは治療とリハビリに臨むために長期・無期限の休業を余儀なくされた。その後、血の滲むような地道なリハビリにより、自力で立ち上がり、補助付きで歩けるまで回復。 2002年8月、WMF旗揚げにあたりコミッショナーに就任するが、その後、離脱して個人事務所「隼計画」を設立してGOEMONと共に所属した。歩行が困難な状況ながら、「お楽しみはこれからだ!」と宣言した。 2003年、平井堅の「LIFE is...」のPVに出演。 2004年には、2館のみで上映の映画『倍音―ばいおん―』にも出演、歌手のみのや雅彦、GOEMONとTRIPLE FIGHTというトリオを結成し、歌手としてライブハウスやプロレス会場で活動。 2006年からは舞台俳優としての活動も始め、市川博樹主演の『天野真一物語』『飛行機雲』などに出演した。 2009年1月24日には自身のプロデュース興行である「ハヤブサ プロデュース フェニックス」を開催した。 2014年にはプロレスラーとしての復帰は諦めておらず、杖を使って約200メートル歩けるまでに回復していった。「5年後(2019年)、レスラーとして再びリングに立ちます」と宣言した。 2015年8月23日、日本テレビ系列『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に出演。番組の企画でレスラー仲間とテンカウントゴングを行ったがその際、引退するかのような演出が成されてしまうことになった。ハヤブサは引退を否定しており、「リスタートのためのケジメ」という意図であり、番組中も博多大吉が「引退じゃないです」とコメントしたが誤解を招く演出となった。 2016年3月3日正午、くも膜下出血により死去。同月4日に所属事務所が発表した。47歳没。新日本プロレスなど参戦した多くの団体で追悼イベントが行われた。
※この「頸髄損傷と歌手への転身」の解説は、「ハヤブサ (プロレスラー)」の解説の一部です。
「頸髄損傷と歌手への転身」を含む「ハヤブサ (プロレスラー)」の記事については、「ハヤブサ (プロレスラー)」の概要を参照ください。
- 頸髄損傷と歌手への転身のページへのリンク