順調な滑り出しから権限委譲まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 08:59 UTC 版)
「イタリヤード」の記事における「順調な滑り出しから権限委譲まで」の解説
1976年(昭和51年)に、婦人服地メーカーロンシャンに勤めていた北村陽次郎が、「自己流の考え方で会社を経営したい。売る苦労をするより、市場の求めるものを探すほうが楽しい」との思いを抱き、27歳で脱サラして創業した。「イタリアの陽気でいい加減なイメージが自分にぴったり」として「イタリヤード」と命名。河原町二条の雑居ビル3階に15坪の事務所を借りて3名でスタートし、半年後にロンシャンのデザイナーだった北村の妻が参加、草創期には彼女のデザインした商品を北村が百貨店や婦人服専門店に売り歩いたという。初年度の売上は1億2,000万円だった。 1980年(昭和55年)に発売開始した「フロリダキーズ」を皮切りに、約6年間で主力となるオリジナルブランドを逐次投入。原色を多用したイタリア調のカジュアルデザインながら、海外品に比べて求めやすい価格で提供され人気を博した。加えて、東京、福岡、大阪に相次いで拠点オフィスを開設し、北村自身が芸能事務所やテレビ局を足しげく通いつめて、芸能人や局アナに衣装を提供した。これが若い女性の購買意欲を刺激し、創業10年目の1986年(昭和61年)7月期には売上を47億円に伸ばした。 「ワンマン経営と悪口を言われることがいやだった」北村は、創業8年目前後から権限委譲を始め、創業10周年を迎えた1987年(昭和62年)7月期より、商品企画から営業、商品管理までをすべて従業員任せにした。それまで「自分で決め、自分でモノをつくってやってきた」、つまり売れる商品を自ら企画し、予想のおよそ7掛けの数量で加工を指図し、それが売れたら即時に追加注文できる体制をつくってきた北村のやり方と異なり、得意先小売店の意向に沿った商品を企画加工し、それを展示会で販売するだけの、いわば権限を委譲された従業員自身は何らリスクを取らない方式に置き換わった。いきおい商品は多品種少量生産となり、製造コストの上昇を引き起こす一方で、売れ残りや返品が想定以上に積み上がる結果を招いた。北村が社長として唯一担当する投資においても、従業員の提案で渋谷に開業したレストランの採算がとれず、本業の足を引っ張ることとなった。その結果、1987年7月期は創業以来初の経常赤字に転落。翌1988年7月期と2期連続で赤字が続き、北村をして「明日にも倒産」と表現できるほど、資金繰りに窮する事態に陥った。
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