順調な昇進とは? わかりやすく解説

順調な昇進(二条親政期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:24 UTC 版)

平重盛」の記事における「順調な昇進(二条親政期)」の解説

応保元年1161年9月後白河上皇平滋子の間に生まれた皇子憲仁親王高倉天皇)を皇太子にしようとする陰謀発覚した。この事件では平時忠平教盛藤原成親らが二条天皇によって解官されるが、清盛同調せず二条天皇支援したため、その信任確固たるものにした。重盛昇進目覚ましく応保元年1161年正月正四位下10月右兵衛督翌年正月には26歳若さで、従三位叙せられ公卿となった清盛二条帝親政支え一方で後白河上皇に対して配慮怠らず上皇のために蓮華王院造営した長寛2年1164年2月、父から造営の賞を譲られ重盛は、正三位叙された。9月清盛一門繁栄祈願して厳島神社装飾経33巻(平家納経)を寄進するが、重盛一門・家とともに製作に携わった。その中応保2年3月17日には唯一の同母弟・基盛が24歳卒去している。 長寛3年1165年4月二条天皇は病に倒れた重態となった二条天皇5月重盛参議任じ6月皇子順仁親王六条天皇)に譲位院庁開設して執事別当重盛指名するなど最期まで執念見せるが、7月崩御した。六条天皇平氏摂関家支え体制成立し重盛永万2年1166年4月左兵衛督7月には権中納言右衛門督となった。しかし天皇幼少のため、政局著しく不安定だった7月近衛基実薨去すると、六条天皇政権瓦解する

※この「順調な昇進(二条親政期)」の解説は、「平重盛」の解説の一部です。
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