露土戦争 (1806年-1812年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 露土戦争 (1806年-1812年)の意味・解説 

露土戦争 (1806年-1812年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 17:40 UTC 版)

露土戦争(ろとせんそう、1806年 - 1812年)は、ロシア帝国オスマン帝国との間で起こった戦争のひとつ(他の露土戦争については、「露土戦争」を参照[注釈 1])。日本では、この戦争をあらわすのに「第三次露土戦争」の用語もよく用いられる[1]


注釈

  1. ^ オスマン帝国とロシアの間の戦争はしばしば起こっているが、狭義の「露土戦争」は1877年から1878年にかけての戦争のことをいう場合がある。『世界史を読む事典』(1994)p.117
  2. ^ ナポレオンはアレクサンドルの妹エカテリーナ・パヴロヴナアンナ・パヴロヴナの2人のうちいずれかとの結婚を希望したが、エカテリーナはオルデンブルク公と結婚してしまい、ナポレオンからはアンナとの結婚の申し出がなされたが、これにはアンナの母マリアからの反対があった。倉持(1994)p.124

参照



「露土戦争 (1806年-1812年)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「露土戦争 (1806年-1812年)」の関連用語

露土戦争 (1806年-1812年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



露土戦争 (1806年-1812年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの露土戦争 (1806年-1812年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS