電気学の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 23:19 UTC 版)
「ジョゼフ・プリーストリー」の記事における「電気学の歴史」の解説
18世紀のウォリントンは知的刺激に満ちていて「北のアテナイ」とも呼ばれた。そんな中でプリーストリーも自然哲学への関心を深めていった。同じウォリントンの講師で友人のジョン・セドン (John Seddon) と共に、解剖学の講義をしたり温度についての実験を行ったりした。講師として多忙を極める中、電気学の歴史について執筆することを決意。友人からイギリスの主な電気研究者ジョン・カントン (John Canton) とウィリアム・ワトソン (William Watson) を紹介され、当時イギリスを訪れていたベンジャミン・フランクリンにも会った。そして電気の歴史に含めたい実験を自分でやってみるよう勧められた。他者の実験を再現するうちに、さまざまな疑問がわき上がってきて興味をかきたてられ、結局自分でも新たな実験を考案することになった。なお、カントン、ワトソン、フランクリンとリチャード・プライス (Richard Price) はプリーストリーの年表と電気の歴史の原稿に感銘を受け、彼を王立協会フェローに推薦。1766年にフェローとなった。 1767年、700頁の The History and Present State of Electricity (電気学の歴史と現状)を出版し、高評価を得た。前半は1766年までの電気研究史で、後半は当時の様々な理論を解説し、今後の研究の方向性を示唆している。この後半部分には自身が新たに発見したことも書いており、木炭その他の電気伝導率を調べ、導体と不導体の間に中間の物質があることを示した。この発見はそれまで電気を通すのは水と金属だけだとされていた通説を覆すものだった。このような物質の電気的特性についての実験や化学変化における電気の効果についての実験は、プリーストリーが化学物質と電気の関係に興味を持っていたことを示している。帯電球を使った実験で、電気の力が万有引力のように逆2乗の法則に従うということを最初に提唱した。ただし、それを一般化したり発展させることはなく、フランスの物理学者シャルル・ド・クーロンが1780年代にクーロンの法則を定式化することになった。 プリーストリーの自然哲学者としての強みは定量的なものよりも定性的な部分であり、電気を流した2つの点の間に「本当の空気の流れ」が生じるという観察を行ったがそれ以上定量的に実験することはなく、後に電磁気学を確立させることになるマイケル・ファラデーやジェームズ・クラーク・マクスウェルがその記述に興味を持つことになった。著書は電気の歴史についての定番として1世紀以上に渡って読まれた。電池を発明したアレッサンドロ・ボルタも、赤外線を発見したウィリアム・ハーシェルも、水素を発見したヘンリー・キャヴェンディッシュもプリーストリーのこの著書を読んでいる。History of Electricity の一般大衆向けの版 A Familiar Introduction to the Study of Electricity (1768) も出版した。
※この「電気学の歴史」の解説は、「ジョゼフ・プリーストリー」の解説の一部です。
「電気学の歴史」を含む「ジョゼフ・プリーストリー」の記事については、「ジョゼフ・プリーストリー」の概要を参照ください。
- 電気学の歴史のページへのリンク