随行員用車両(供奉車)
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天皇・皇族の公式・準公式移動には、サポートや警護のため、宮内庁等の関係職員が多く随行する。この種の目的で宮内庁は随行員を乗車させる「供奉車(ぐぶしゃ)」も保有し、複数台を御料車前後に走行させる。その用途には、車格と性能の面から、御料車に次ぐクラスの高級車を用いる事例が多い。 自動車評論家の五十嵐平達は1959年3月、皇居の宮内庁管理部の自動車庫見学を認められ、御料車として運用されていたキャディラック75とロールスロイス・シルバー・レイスを撮影しているが、その当時の宮内庁で供奉車として多く保有していたのは、1930年代の黒塗りパッカードセダンで、五十嵐が実見しただけでも20台があり、アメリカから日本への自動車輸入が停止された1938年より後、戦時中の戦地鹵獲車輛が出どころと思われる1940年モデルも混じっていたという。1920-30年代のパッカードは高品質と上品さから日本の上流階級や官公庁に支持され高いステータス性を得ており、その流れを反映したものであった。また戦前日本でパッカードに次ぐ車格を認められていたビュイックも保有されていた(梁瀬商会(ヤナセ)創業者の梁瀬長太郎が自動車輸入禁止の発動必至と見込み、その前に官公庁用として多数輸入確保していたという1938年モデルであった)。また当時、車格の面でははるかに劣る戦後日本製の1500cc級乗用車各車も導入が始まっていた。 なおパッカードが増える以前には、1935年に倒産したやはりアメリカの最高級車メーカー、ピアスアローの大型モデルが好んで用いられており、1959年訪問時点でも、1930年式ピアスアローの寝台車(霊柩車)がまだナンバープレート付きで保管されていたという。これらのうち戦前製大型モデルは必要に応じ、代用御料車・貴賓車として用いられることもあった。この点は、皇族の通常公務用車に近い。 1960年代に入り、2000cc級かそれ以上の大型乗用車が国産化されるようになると、それら国産上級セダン(トヨタ・クラウンや日産・セドリック、プリンス/日産・グロリアなど)が供奉車用途に用いられるようになった。その流れは2010年代でも続き、通常型のトヨタ・センチュリーなどが随行に用いられる事例が多い。
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