陰極線と光電効果の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 16:08 UTC 版)
「フィリップ・レーナルト」の記事における「陰極線と光電効果の研究」の解説
レーナルト最大の業績は1888年から始めた陰極線の研究である。それ以前の陰極線は、ある程度真空に近づけたガラス管に金属電極を配し、そこに高電圧を印加することで発生させていた。したがって陰極線は封印されたガラス管の中にあり、しかもガラス管内には空気の分子もあるため、直接的な研究が難しかった。レーナルトはガラス管に小さな金属箔の窓(レーナルトの窓)を設置し、圧力差に耐えられる程度に厚いが陰極線が通過する程度には薄いものにすることで、この問題を解決した。これをレーナルト管と呼ぶ。これを使って陰極線をその窓から実験室内に出したり、別の完全に真空にした部屋に出したりすることができるようになった。これによって燐光物質を塗布した紙を使った陰極線の検知が容易になり、その強度も測定できるようになった。 レーナルトは、陰極線の吸収の度合いが通過する物質の密度と比例することに気づいた。これは陰極線が電磁放射の一種だという説を否定するかに思われた。また、通常の空気中では数インチしか通過できないことを発見し、空気中の分子よりも小さい粒子が空気の分子にぶつかって散乱しているのではないかと考えた。ジョゼフ・ジョン・トムソンの成果も考慮して、陰極線は負に帯電したエネルギー粒子の流れだという結論に達した。彼はヘルムホルツに倣ってこれを "quanta of electricity" または単に "quanta"(量子)と名付けた。一方ジョゼフ・ジョン・トムソンは "corpuscle" と名付けたが、最終的には "electron"(電子)と呼ばれるようになった。自身の陰極線を金属に吸収させる実験や先人の成果からレーナルトは、電子が原子を構成する一部であり、原子の大部分は何もない空間から成っているという正しい推論を行った。 クルックス管を使った研究では、真空中の金属に紫外線を照射した際に生じる放射線(光電効果)が陰極線と同じであることを示した。特にその放射線のエネルギーが照射する光の強さとは無関係だが、光の波長が短いほど強くなることを発見した。後にこれを量子効果として説明付けたのがアルベルト・アインシュタインである。その理論では、陰極線エネルギーと光の波長をグラフにプロットしたとき、その傾斜がプランク定数 h と等しくなると予測されていた。これは数年後に事実であることが判明している。アインシュタインは光電効果の研究でノーベル物理学賞を受賞している。
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