闘え!ドラゴン
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『闘え!ドラゴン』(たたかえ ドラゴン)は、東京12チャンネルで1974年7月2日から12月24日まで放送されたアクションドラマ。全26回。放送時間(JST)は当初火曜19:30 - 19:56だったが、1974年10月からは直後のミニスポーツニュース『スポーツフラッシュ』の枠拡大に伴い、19:30 - 19:55に変更された。
注釈
- ^ 宣弘社作品では『スーパーロボット レッドバロン』(1973年)の途中からカンフーが取り入れられていた[3]。
- ^ 原文ママ。正しくは「絶対」。
- ^ 北海道文化放送(uhb)が開局する以前は、日本テレビ系列とフジテレビ系列(FNSのみ)のクロスネットであった札幌テレビ(STV)の編成から外れたフジテレビ系列の番組または、HTBで同時ネットできなかったNET系列の番組の遅れ放送枠としていた。腸捻転解消後の後継番組の『二郎さんのOh!マイおやじ』(朝日放送(ABC)制作)からテレビ朝日系列の番組が同時ネットされるようになり、『アップダウンクイズ』も腸捻転解消によりTBS系列への変更に伴い同系列局の北海道放送(HBC)にネットされるようになった(腸捻転解消前は北海道地区でアップダウンクイズは未放送)
- ^ テレビ西日本では「電人ザボーガー対恐竜軍団シリーズ」を、キー局よりも3ヶ月早く先行放送しており、1975年3月28日で全52話の放送を終えた。
出典
- ^ a b c d e 石橋春海 2014, pp. 93–95, 「1974 闘え!ドラゴン」
- ^ a b c 宣弘社フォトニクル 2015, pp. 52–53, 「闘え!ドラゴン」
- ^ a b c 宣弘社フォトニクル 2015, pp. 44–47, 「インタビュー高倉英二」
- ^ “Amazon.co.jp: 闘え!ドラゴンを観る | Prime Video”. www.amazon.co.jp. 2022年3月13日閲覧。
- ^ “ベストフィールド (@BF_yomigaeru)” (英語). Nitter. 2022年3月13日閲覧。
- ^ “UIshare: Effective Video Communication” (英語). bestfield.uishare.co. 2022年3月13日閲覧。
- ^ a b c 石橋春海 2014, pp. 96–99, 「宣弘社作品のヒーローたちInterview 倉田保昭」
- ^ 石橋春海 2014, p. 94, 「制作現場「闘え!ドラゴン」 あのとき私は 田村正蔵 制作・監督(当時)」.
- ^ 『東奥日報』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『秋田魁新報』1974年7月12日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『山形新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『山梨日日新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『信濃毎日新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『信濃毎日新聞』1974年9月5日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1974年9月テレビ欄。
- ^ a b c 『北國新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『静岡新聞』1974年9月テレビ欄。
- ^ a b 『中日新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『京都新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『山陰中央新報』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『山陽新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『中国新聞』1974年11月各日夕刊テレビ欄。
- ^ 『愛媛新聞』1974年9月テレビ欄。
- ^ 『熊本日日新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『大分合同新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ 『宮崎日日新聞』1974年11月テレビ欄。
- ^ a b 岩佐陽一 2001, p. 216.
- ^ 「綴込特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2002」『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ、2002年5月1日、169頁、雑誌コード:01843-05。
- ^ 岩佐陽一 2001, p. 199, 「闘え!ドラゴンの時代」.
- ^ 『東映ヒーローMAX』 Vol.9、辰巳出版〈タツミムック〉、2004年6月10日、72頁。ISBN 4-7778-0035-0。
- ^ 闘え!ドラゴンオールナイト応援動画 倉田さんご本人より応援メッセージをいただきました!!
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