開発と中止までの経緯とは? わかりやすく解説

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開発と中止までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/07 08:18 UTC 版)

泰山 (航空機)」の記事における「開発と中止までの経緯」の解説

一式陸上攻撃機生産開始間もない昭和14年海軍立案した実用機試製計画一環として実用機計画番号M-60十六陸上攻撃機」(十六中攻)として三菱重工業試製予定提示され研究開始された。 昭和16年1月海軍側が具体的な要求原案では、最高時速300ノット(556km/時)、航続力4,000海里(7,408km)、急降下爆撃可能、燃料半量防弾ゴム皮膜、20mm機銃×2、7.7mm機銃×4、乗員4名と非常に過酷なものであった。大航続力要求される一式陸攻後継機種ありながら当時試作進められていた十五試陸上爆撃機銀河」と同等急降下爆撃能力求められたことに対して三菱設計主務者である本庄季郎技師はこれを満たすため、一式陸攻開発時と同じく発動機四発案を提案したが、求めているものが双発中型攻撃機であったことから海軍側はこれに難色示し却下した本庄技師に代わって主務となった高橋己治朗技師発動機試作中の水冷H型24気筒の15試「ヌ」号を搭載したハインケル He177」に類似の機体計画するが、昭和16年6月の独ソ開戦によって「ヌ」号生産用工作機械輸入することが出来なくなったため、頓挫する。 単座戦闘機設計担当する堀越二郎技師病欠となったため高橋技師にはこれに代わって戦闘機行わせることとし十六中攻設計主務者には本庄技師復帰、のもと発動機を「火星」の18気筒版である「十七試カ号」(三菱社内名称A18F、海軍略符号MK10A、陸海軍統合名称ハ42-31)と想定して計画再検討した。しかしながら十七試カ号の実重量がこの想定上回って過大となることがしらされたため、再び計画頓挫三菱側から性能引き下げ打診され、この結果急降下爆撃可能から緩降下爆撃可能という線に要求引き下げられた。全体として当初要求よりも低性能機体となることが明らかになってきたため、防御火力増大が再要求されこのため機体重量想定よりも過大となった。また防弾装備当初燃料半量防弾ゴム皮膜であったものが昭和17年3月計画要求書では「インテグラルタンクゴム皮膜」となり、昭和18年1月には「完全防弾ゴム)」となり、さらに同年8月には「重要部防弾鋼板」が追加されるなど、やはり重増加見込まれることとなったこのように要求再三わたって変更され上で、それを実現する適切な計画立案することができないまま、昭和19年6月2日をもって開発正式に中止された。

※この「開発と中止までの経緯」の解説は、「泰山 (航空機)」の解説の一部です。
「開発と中止までの経緯」を含む「泰山 (航空機)」の記事については、「泰山 (航空機)」の概要を参照ください。

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