開業・延伸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 17:40 UTC 版)
当線は、1918年に計画された高岡 - 新湊 - 東呉羽村(現・富山市)を結ぶ電車軌道(射水電気軌道)の計画と1921年に計画された富山市安養坊(市電呉羽終点)と新湊を結ぶ富新電気軌道の計画を一本化し、1922年(大正11年)12月26日に、射水電気軌道の名前で富山駅 - 新伏木口駅(現六渡寺駅)間の軌道敷設特許を受け、1923年(大正12年)2月20日に越中電気軌道として設立されたことに始まる。沿線の旅客や海産物、米などの運搬が目的であった。伏木港と富山駅を鉄道で直結し、将来は高岡 - 伏木間、四方 - 東岩瀬(現・東富山)間、新湊 - 小杉間の路線延長を行い、沿線の産業・観光開発を目指すことを計画していた。 1924年(大正13年)に富山北口駅 - 四方駅間6.1kmが開業。富山北口駅舎には越中電気軌道の本社も入居した。1926年(大正15年)に聯隊橋駅(後の新富山駅) - 富山北口駅間と四方駅 - 打出浜駅(後の打出駅の付近)間が開業した。聯隊橋駅で富山市電に接続していた。 打出浜駅前には海水浴場を開くなど集客に努めていたが沿線に人口が少ないことから業績は良くなく、1927年(昭和2年)に社名を越中鉄道に変更し、地方鉄道補助法の適用を受けるために1928年(昭和3年)に軌道法による軌道から地方鉄道法による地方鉄道に変更した。同じ頃に日本電力の傘下に入った(1942年9月まで) 同法による補助により打出浜駅以遠の延伸が行われるようになり、堀岡、越ノ潟、東新湊、庄川口と少しずつ延長しながら1933年(昭和8年)に新伏木口駅(現六渡寺駅)までの19.9kmが全通した。しかし、神通川への架橋を伴う富山駅 - 富山北口駅間は、資金難から着工できなかった。 その後、沿線の工場立地や観光開発の成果もあって、1936年度から収益は黒字になった。 1943年(昭和18年)1月1日の交通大統合により、富山地方鉄道(地鉄)の射水線となった。 1950年(昭和25年)12月31日から富山軌道線への直通運転(西町停留場まで)を開始し、翌1951年(昭和26年)4月1日には高岡軌道線の米島口駅 - 新湊駅間が開業した。新富山駅 - 西町停留場間の直通運転は1961年(昭和36年)7月18日に廃止された。
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