進化史と系統分類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:02 UTC 版)
ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルによって著された"Kunstformen der Natur (自然の芸術的形態)"(1904年)に見るアンモナイトの図説。 前述の通り、アンモナイト亜綱の系統発生は、古生代オルドビス紀から生息していたオウムガイ亜綱からの分化と考えられている。生態ピラミッドの最高次捕食者として栄えた時期もあったオウムガイ亜綱とは違い、アンモナイト亜綱はその進化史の初めから食い食われる中位の捕食者としての出現であった。何を祖先と見なすかは、諸説で割れる分類が最初期のアンモナイトを何と定めるかによって違ってくる。バクトリテス目をもってアンモナイト亜綱の発生とし、その直接的祖先とされるオルソセラス目(la:オルトケラス目、チョッカクガイの類い)のスフェオルソセラス(la:スファエルオルトケラス、Sphaerorthoceras)を上に置く考えもあれば、直錐形の殻を持つバクトリウス目をオウムガイ亜綱に分類し、彼らから分岐して螺旋形の殻の進化傾向を初めて見せるアナルセステス目をもって最古のアンモナイト亜綱と見なす説、その他がある。 古生代のデボン紀にはアナルセステス目の他にゴニアタイト目とクリメニア目が出現した。さらに石炭紀には絶滅したアナルセステス目やクリメニア目と入れ替わるようにプロレカニテス目が出現した。しかしこのプロレカニテス目とゴニアタイト目も未曾有の絶滅期であるP-T境界を超えることはなかった。しかし、後期ペルム紀出現のセラタイト目はP-T境界を超えて三畳紀を迎え、この時代を繁栄期としている。そして、アンモナイト亜綱の代表たるアンモナイト目(狭義のアンモナイト類)は、セラタイト類を母体として中期三畳紀に現れている。彼らはジュラ紀・白亜紀を通して大繁栄することになるが、その陰でセラタイト類は三畳紀末に姿を消した。 登場以来、古生代から中生代にかけて長く繁栄することとなったアンモナイト亜綱ではあるが、幾度となく到来した絶滅イベントによって彼らのうちの古い形質を残すものは失われていき、ジュラ紀にはアンモナイト目だけが亜綱を構成する状況となっていた。しかしアンモナイト目自体が多様性の高い分類群であり、例えば後期白亜紀には異常巻きで有名なアンキロセラス亜目が繁栄を見せている。しかしアンモナイト目も約6600万年前のK-Pg境界で姿を消し、アンモナイト亜綱の命脈は絶たれた。 一方、アンモナイト亜綱より先に存在していたオウムガイ亜綱は、これも長い地質時代の間に多くの種が現れては消えていった。それでも、遠い子孫がわずかに生き延び、我々はそれを「オウムガイ(オウムガイ属、現生のオウムガイ類)」と呼んでいる。20世紀末以降の学会では、断片的に軟体部の痕跡を留めているアンモナイト化石を基にした知見から、殻の形の似ている現生オウムガイ類よりも、歯舌にある歯の数などで共通性を見出せるイカやタコを近縁とする説が有力になっている。現生のイカやタコを含む鞘形亜綱の原初的な分化も、アンモナイト亜綱の発生の頃にまで遡って考えるのが、今日的な説である。 アンモナイトと現生オウムガイ類は別の系統群と見なされるようになったわけであるが、類似する生活様式を持っていたための一つの収斂進化であると考えられている。 イカに近い生態で復元する場合のアンモナイトは、ごく短い足を多数具え、水中半ばを漂うように泳ぐ姿を想定される。それが、タコに近い生態での復元であれば、殻から長い足を出して、海底を這い回る様子が描かれることとなる。
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