逃走・逮捕・裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:11 UTC 版)
恋人(オウムシスターズの次女)、中村、中村の恋人の4人で逃走していたが、1995年7月9日、埼玉県大宮市(現さいたま市)のウィークリーマンションに潜伏していたところを中村とともに埼玉県警察に逮捕された。 1996年2月に祖母が亡くなったことをきっかけに教団と決別し、それまで「殺したのではなく救済した、宗教的意義があった」と自身に言い聞かせていた坂本弁護士一家殺害事件が救済ではなく殺人、犯罪であると理解した。 法廷では事件について極刑を覚悟で率直に語った。第一審の公判では「麻原にも検事にも騙されちくしょう」「麻原は八つ裂きにしても許せない」と怒りをあらわにした。また、裁判の場においてもよく若者言葉を用いた。検事から坂本に馬乗りになった時の心境について聞かれると、「意識なくなるまで殴る気持ちにはなれるわけないだろう」と言い、声を殺して泣き出した。麻原の公判に出廷した際には「教団には理不尽なことはたくさんあった。それに半ば目をつぶって生きていくことがステージが上がること」、「お布施の額は設定していないと説明されたのに、出家してみたらすごい常識外れの金だった」、「信者は菜食主義なのに弁当屋を経営し、ビフテキを売っている。矛盾だ」と不満を述べた。 武士道にこだわっていたという端本に対し検察官が、坂本弁護士事件で妻や乳児まで殺害したことについて「女・子供まで手を掛けて武士道に反していないのか」と追及すると、「その通り。こうして生き恥さらしてます」と答えた。オウムを抜けられなかったのかという質問に対しても「だから今、ここにいる」と答えた。 江川紹子は「潔癖、男らしさ、友情や仁義といった価値観、彼なりの美学にとてもこだわりを持っている」と評している。一方佐木隆三は、武士道を持ち出したりするところを「おかしな文系」と評している。その美学故か、坂本弁護士事件で石井久子も関与していたのに起訴されていないとして自分の逮捕を「弱い者いじめだ」と怒るが、検察側から「あんたが坂本弁護士や奥さんにしたことこそ弱い者いじめじゃないか」言い返される場面もあった。 教団内で仲が良く、一緒に逃走生活を送った中村の公判に証人出廷した際、まだ教団への帰依心を表明していた彼に対し「目を覚ましてほしい」と優しく語りかけた。端本の一審はすでに死刑求刑で結審しており、もう2度と会う事も出来ないと考えたからか、中村に「さよなら」と小声で言って退廷した。 裁判では、事情をよく知らないまま犯行に駆り出され、実行犯の中で最も従属的と認められながらも、第一審・控訴審共に死刑判決を受け、上告していたが棄却され、2007年10月26日に死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定するのは4人目。松本サリン事件の実行犯では初めての死刑確定となった。 オウム真理教事件で死刑になった麻原を除く12人の被告うち、特別な肩書きを持たない一般信徒は端本のみであった。省庁制発足後も要職には就かず、数々の事件でも中心人物になることはなく、ステージも幹部とは言えない「師長」でしかなかった。
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