農耕社会の成立とグスク時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 18:32 UTC 版)
「沖縄県の歴史」の記事における「農耕社会の成立とグスク時代」の解説
グスク時代(論争はあるが12-16世紀頃)から、数多くの農耕遺跡が発見され、世界遺産である各地のグスク跡をはじめとする考古学的史料が豊富に現れる時期となる。 詳細は「グスク時代」を参照 12世紀ごろから琉球でも稲作・畑作を中心とした農耕社会に移行し[要出典]、文明の度合いが色濃くなってきた。農耕を基盤とした社会が成立[要出典]と、集落は海岸部から農耕に適した台地に移る(貝塚時代後期後半には遺跡が台地上に移行する)。この時代をグスク時代と呼ぶ。 この時代は日本本土や中国大陸との交流が盛んで、中国だけでなく東南アジアの陶磁器も輸入されており、アジア貿易の中継点としての重要性を増してきた。これらで力をつけた有力者は地元の農民を束ねて豪族(按司・あじ)となり、石垣で囲まれた城(グスク)を築き、周辺の集落を傘下に入れ小国家へと発展した。舜天や英祖といった王朝初期の王も、この頃の有力な按司のことであったと考えられる。日本から平仮名が導入され(1265年に日本僧禅鑑が伝えたとも言われる)、表音文字として文書全般に利用されたほか、中国や東南アジアとの交流もあり、これらが融合してその後の琉球文化の基となった。琉球神道はノロといわれる女性祭司の力が非常に強いシャーマニズム的なもので、古い神道にも近い要素がある。後に仏教も伝来した。 1291年に元軍が襲撃した「瑠求」は台湾のことであり、「元軍を英祖王が撃退した」という逸話は「瑠求=琉球」と誤認したことから生じた空想であるとされる。
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