農芸化学から農政・金融へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 06:43 UTC 版)
当初は農芸化学の分野で実績があり、お雇い外国人のマックス・フェスカが著した「肥培論」の翻訳者として知られるが、次第にドイツ留学中に学んだ、農業者による信用組合などの組織論・金融論に関心を持つ。ドイツの制度(特に「ライファイゼン」型の組織)の適用を提唱して1897年(明治30年)の第11回帝国議会に農商務省から「産業組合法」案を提出するが、反対論が根強く審議未了となり、志を果たす事はできなかった。
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