翻訳者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:35 UTC 版)
橋本のオランダ語の単語記憶力についてはすでに述べたような逸話が残っている。また長崎の通詞であった、楢林重兵衛が江戸からの帰りに大阪で宿泊した際、門弟の伏屋素狄の案内で橋本宗吉が訪ねてきた。楢林重兵衛が取り出した一冊の蘭書を橋本は「これを読むこと流水のごとく、その解釈することあたかも宿看のもののごとし」という能力をみせ、楢林重兵衛は「(通訳者として)われら、これに衣食するものもかくのごとく敏捷なるは稀なり、愧づべし愧づべし」と述べたという。 『西洋医事集成宝函』の出版にあたり、橋本は序文で「自分は泰西医籍を好み、これまでに数部を訳したがみな小冊砕篇である。このたび入手した医事宝函はすこぶる大部のもので、これこそ後世に伝えるに足るものである。西洋には元来、捌必児金鐸という言葉がある。つまり子を持たぬ人が著書を残して子孫に代えることである。自分は不幸にして一男もないので本書を訳して上梓し世を益したい」という内容を書き残している。
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