農耕文化の伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 22:06 UTC 版)
約1万年前になると大陸内の民族分布も次第に明確になり、東部、南部にコイサン語族、中央部にピグミー系民族、西部に黒人系民族が根を下ろし始める。この頃のアフリカ大陸は乾燥期から湿潤期へと転換を迎えつつあり、一時はサバンナ化した森林も徐々にその版図を拡大していた。8000年前前後になると湿度はピークを迎え、コンゴ盆地からカザマンス川付近まで森林は拡大し、サハラ砂漠においても潤沢な天の恵みにより、緑が目立つようになり、いわゆる「緑のサハラ」が出現した。このような環境は約5000年前頃まで継続し、以降は再び乾燥期に入るが現在までにアフリカ大陸ではこうした乾燥期と湿潤期を数回繰り返していることが判明している。 こうした急激な環境変化は、そこに生息する人を含む生態系に大きな影響を与えた。当初ステップ化、サバンナ化したサハラで狩猟や放牧をしながら生活していたバントゥー語族は5000年前頃の乾燥期に入ると南下を開始する。そうした環境変化に伴う民族の大移動は民族間の衝突や接触の原因となった。また、湿潤期には川や湖の水位が著しく上昇し、豊富な水産資源を背景とした漁撈民族の文化が発達した。しかし、狩猟文化にせよ、漁撈文化にせよ環境の著しい変化に伴い、資源の枯渇や局地化が発生する。それらを打開するため、アフリカ独特の農耕文化が誕生したと考えられている。農耕文化はバントゥー語族の南下に伴いアフリカ全土へ広がり、紀元前3000年までには北緯5度以北の地域で農耕が行われ、紀元前後には南緯5度まで達した。
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