贈与としての「和与」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 08:16 UTC 版)
一般的な贈与の意味で「和与」という言葉が用いられるようになったのは院政期に入ってからであると考えられている。鎌倉時代の『明法条々勘録』に引用されている平安時代中期(摂関政治期)の明法家惟宗允亮の著作『政事要略』逸文には、「志与他人之後 専無返領之理」という見解が出現しそれが通規(通説)であると述べている。当時、和与ではなく志与(こころざしあたえる)という用語が用いられているものの、他人への好意から進んで与えたもの(志)は返還(悔返)できないという後世の和与の原則と共通する見解が通説として扱われている。こうした志与が土地や所職などによって行われた場合には、贈与の事実を確認するために証文などが交わされたと考えられているが、それでも後日において贈与の事実の有無を巡って紛糾が発生することもあった。このため、当該行為が当事者間の和いによる志与であった事実を証文の文中において強調することで、当該行為に悔返が発生しないことを宣言するようになる。それが、名例律32条の条文にあった本来無関係の「和与」の語句と結び付けられ、律令法・初期公家法及び明法家学説の集大成である『法曹至要抄』には「和与物不悔返事(和与した物は悔返してはならない)」と記され、公家法における一種の法諺として社会に定着することになった。ただし、名例律32条の本来の解釈では法令に違反する方法で獲得した贓物は、たとえ当事者間の合意の有る授受であったとしても原所有者に返還する義務があるとするものであり、一般的な合意のある授受(すなわち贈与の意味での「和与」)は返還の対象とはならないとした『法曹至要抄』の解釈はこれと矛盾する内容を含んでいた。これを明法家によって名例律の拡大解釈が行われて現実に適合させたと捉えるか、単に明法道の衰退と家学化による学術水準の低下や律令法自体の弛緩によって条文本来の意味が忘れられて矛盾が見過ごされてしまったのか、歴史学者の間でも見解が分かれている。 ただし、贈与の意味で用いられる和与にも大きく分けると2種類があった。すなわち、所有者が生前に自己の相続人に対して無償で財産の譲与を行って相続と同じ効果を図るものとそれ以外の第三者(非血縁者であるのが一般的)に対して贈与を行うことである。後者の場合を特に「他人和与」と呼ぶ。広義においては、寺社への寄進も神仏への和与として扱われる。前者の相続人に対する和与においては、かつてはいかなる場合でも悔返は出来ないとするのが通説であったが、近年においては子孫教令違反などの不孝に相当する行為を子孫が犯せば悔返は発生するという説も出されている。それでも前者における悔返は厳しく制限され、後者の他人和与の場合には悔返は一切禁じられていた。この時代、所領所職を媒介とした譲与・寄進が盛んになる中で、所有権の安定を図るために悔返の出来ない権利移転である「和与」の原則を導入することで、所有権を巡る訴訟抑制の効果があったと考えられている。
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