販売中止へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/10 14:36 UTC 版)
第1回の試験飛行は65分間で、無事に成功したがエンジンのオーバーヒートが指摘された。1週間後の2回目の試験飛行は、火災報知器の作動により途中で切り上げられたが、これは誤作動によるものだった。このように、セスナ 620の開発は火災報知機とエンジンに不調に悩まされた。 一方、セスナ 620に並々ならぬ期待を寄せるセスナ社は、大々的なキャンペーンを展開した。実物大のモックアップをトレーラートラックに載せて走らせ、1956-1957年のNBAAの大会ではノベルティを配布し、さらには短編映画『アイ・トゥー・ザ・スカイ(Eye to the sky)』を製作するほどだった。顧客へのサービスも充実しており、前払金1万ドルを支払えば1958年に引き渡しが始まる機体の予約が可能で、しかもキャンセルしても前払金は返金するというものだった。セスナ社は年産100機を見越して作業員の新規募集を行い、セスナ 620の成功は間違いないと確信していた。 しかし、これらの努力と裏腹にセスナ 620は1機も受注を得られなかった。高性能が災いして、1957年夏にはオプション無しの基本価格が当初予定の25万ドルを超える37万5,000ドルまで膨れ上がることが明らかになった。折しも、ジェット旅客機の台頭で余剰となったコンベア240マーチン4-0-4といったレシプロ旅客機が市場に流れ込み、これらは中古機ということもあって改造機でさえセスナ 620の半額強で販売されていた。このため、高価なセスナ 620はキャンセルが相次ぎ、価格高騰が判明した時点で受注は0になった。さらに、グラマン ガルフストリーム(英語版)やノースアメリカン セイバーライナー、ロッキード ジェットスターといったビジネスジェットが開発中という情報も広まっており、仮に販売を続けてもレシプロエンジン機であるセスナ 620が市場で早々に陳腐化するのは避けられない状態だった。 結局、720万ドルという莫大な開発費にも関わらず販売実績が皆無の機体に、株主総会はこれ以上資金を注ぐことを認めなかった。1957年10月14日、セスナ社はセスナ 620の開発・販売を突如中止した。突然の開発中止に社内は騒然となったが、開発担当の従業員は配置転換か契約解除を余儀なくされた。期待を裏切られたセスナ社はセスナ 620を闇に葬りたかったのか、エンジンやプロペラなどの使用可能な部品を取り外した唯一の試作機はブルドーザーでスクラップにしてしまい、設計図や各種データも全て破棄してしまった。
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