議会生涯が始まるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:08 UTC 版)
「ヒュー・パーシー (第3代ノーサンバーランド公爵)」の記事における「議会生涯が始まるまで」の解説
父の第2代ノーサンバーランド公爵はコーンウォールのニューポート選挙区(英語版)のパトロンであり、パーシーが成人すると同選挙区で当選させる予定を立てた。そのため、1803年にリチャード・ブリンズリー・シェリダンが息子トム(英語版)を、1805年に初代オークランド男爵ウィリアム・イーデン(英語版)が息子ジョージを当選させようと公爵に打診したときはいずれも拒否されている。1806年に初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルを首班とする挙国人材内閣(英語版)が成立したとき、内閣の有力者チャールズ・ジェームズ・フォックスが公爵に打診しなかったことで公爵の不興を買い、その代償として摂政王太子ジョージがパーシーに繰上勅書を発行するよう口添えすると申し出たときにも公爵に拒否されている。 同1806年にパーシーが成人すると、公爵はまずパーシーをノーサンバーランド選挙区(英語版)で出馬させようとしたが、ノーサンバーランドではホーウィック子爵チャールズ・グレイの進退をめぐり不安定な情勢であり、オソルストン卿チャールズ・ベネット(英語版)も出馬を目指した。首相グレンヴィル男爵もパーシー伯爵に議席を用意すると許諾して、6月中旬にはオークハンプトン選挙区(英語版)で立候補させる用意をしたが、オークハンプトンでの立候補は実現しなかった。7月にエニスキレン選挙区(英語版)で空きが生じると、議席を掌握する第2代エニスキレン伯爵ジョン・コールから指名権を与えられていた政府はパーシー伯爵に出馬を打診、パーシーもそれを受け入れた。しかし、首相グレンヴィル男爵が財務省秘書官ウィリアム・ヘンリー・フレマントル(英語版)を自身の兄の初代バッキンガム侯爵が掌握するバッキンガム選挙区(英語版)で当選させようとし、バッキンガム侯爵が反対したため、グレンヴィル男爵は候補者を入れ替えて、8月にパーシー伯爵をバッキンガムで、フレマントルをエニスキレンで当選させた。 9月にウェストミンスター選挙区(英語版)の議員だったフォックスが死去すると、グレンヴィル男爵は2代ノーサンバーランド公爵にパーシー伯爵をウェストミンスターの補欠選挙に出馬させることを打診した。公爵が同意したため、パーシー伯爵はわずか1か月で議員を辞任して、再び選挙に立候補することになった。グレンヴィル男爵が打診した背景にはノーサンバーランド公爵が政府への不満を持ち、その支持を確保したいこともあったが、公爵が有権者のきわめて多いウェストミンスターにおいて(決定的ではないものの)唯一勢力を有すると言える人物だったこともあった。 ウェストミンスターではフォックスがグレンヴィル男爵や初代シドマス子爵と手を組んで組閣したことに急進主義者が不満を感じ、一方でホーウィック子爵など閣内のフォックス派はパーシー伯爵を支持した。海軍会計長官(英語版)に就任したシェリダンは自身がフォックスの親しい友人で公的にもフォックスの政策を熱烈に支持したため、自身がフォックスの後継者として議員に就任すべきと考えていたが、兵站総監(英語版)の第2代モイラ伯爵フランシス・ロードン=ヘイスティングズの説得を受けて立候補を断念した。パーシー伯爵の対立候補になりうる第5代準男爵サー・フランシス・バーデットとジョン・フィルポット・カラン(英語版)が立候補を辞退したこともあり、パーシーは10月7日に無投票で当選した。 ウェストミンスターでの当選からわずか1週間後に政府が議会解散を決定、1806年イギリス総選挙が行われることとなった。シェリダンがいち早く立候補を表明したため、内閣は与党候補2人の争いを避けるよう、やむなくシェリダン支持を表明した。ノーサンバーランド公爵はシェリダンの評判が悪く、長男の同僚としてふさわしくないと考えた上、内閣がパーシーの当選以前に解散を決定した上で自身に知らせなかったと怒り(ただし、『英国議会史(英語版)』はこの考えが誤りだとしている)、パーシーの再選を目指さなかった。公爵は続いてパーシーをケンブリッジに向かわせ、ケンブリッジ大学選挙区(英語版)で当選する見込みがないことを確かめた後、ノーサンバーランド選挙区から出馬させることを検討したが、そこで当選する見込みも薄かったため、代わりに自身の懐中選挙区であるコーンウォールのローンストン選挙区(英語版)でパーシーを当選させた(11月4日)。
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