記録された事件 ランの奇跡
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「ベルゼブブ」の記事における「記録された事件 ランの奇跡」の解説
フランス北東部の都市ランにベルゼブブが実際に現れたと記録される事件。1566年8月にフランス国王の命で事件の記録が残された。 ランにニコール・オブリーという女性がいた。子供の頃7年間を修道院で過ごしたが、その後結婚。 1565年11月3日、ニコールが16歳になったとき、1人で祖父の墓参りをしていると、「今も煉獄から逃れられない。聖地を巡礼して欲しい」という祖父の声が聞こえたという。 12月2日夜8時頃、家族がニコールの異変(奇行とけいれん)に気づく。両親はニコールに巡礼したと言っていたが、それは両親の嘘であった。ニコールはその嘘を看破する。両親はドミニコ修道会の修道士に相談するが解決できず、修道士はニコールを教会に連れて行く。 1566年1月4日、ランのジョン・ルボー司教が解決に当たろうとすると、ニコールは最初、守護天使を自称するが、司教の祈りによって、ニコールの体を乗っ取ったベルゼブブであると正体を明かす。噂が広がって、1月24日にニコールがラン大聖堂に運ばれるときは行列ができ、それからは毎日2,000人もの見物人が詰めかけるようになった(最終的にはのべ15万人とも)。 悪魔払いが行われたが、ニコールの症状はひどくなるばかりで、口が動いていないのに男の声がして見物人たちの罪の秘密をつぎつぎと暴露した。そのため懺悔の行列ができた。ルボー司教が悪魔払いに聖餅を使うと、ニコールは動かなくなり、ベルゼブブはニコールの左腕に逃げ込み、左手は硬く閉じられた。人々はニコールの足に針を刺したが、ニコールは何も感じなかった(後の魔女裁判の審判法として魔女は針の痛みを感じないとされた)。 その後、ベルゼブブは22もの仲間を連れて復讐に舞い戻り、いろいろな悪魔が代わる代わるニコールの体を乗っ取り、さまざまな言語で話した。やがてニコールの体が宙に浮く奇跡が起きた。その後も悪魔払いは続けられ、2月8日金曜日の午後3時、ようやく硬直していた左手がひらかれ、ニコールは黒い息を吐き、ベルゼブブは去った。なお、ニコールは1566年9月に出産している。子供はベルゼブブとの子供と推測され、ニベルコルと名付けられた。その後ニベルコルはすくすく育っていったようだ。ニベルコルは妥当に考えればニコールの夫の子供だが、悪魔祓いに集まった聖職者の子供だと指摘する人もいる。さらに1577年11月にもニコールは悪魔に取り憑かれた。1577年の悪魔憑きでニコールは失明したが、教会は何もせず、誰にも相手にされなかったという。 事件が起こった十六世紀半ばは宗教改革によりカトリックの権威が失墜していた時期であり、「ランの奇跡」事件はカトリック教会で使用する聖餅の力を印象づけ、教会を権威づける演出であり、失墜し始めたカトリック教会の権威を取り戻すための見せ物であったのではないかという研究者の説がある。
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