記録された事件 ランの奇跡とは? わかりやすく解説

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記録された事件 ランの奇跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:07 UTC 版)

ベルゼブブ」の記事における「記録された事件 ランの奇跡」の解説

フランス北東部都市ランベルゼブブ実際に現れたと記録される事件1566年8月フランス国王の命で事件の記録残された。 ランにニコール・オブリーという女性がいた。子供の頃7年間を修道院過ごしたが、その後結婚1565年11月3日ニコール16歳になったとき、1人祖父墓参りをしていると、「今も煉獄から逃れられない聖地巡礼して欲しい」という祖父の声が聞こえたという。 12月2日夜8時頃、家族ニコール異変奇行けいれん)に気づく両親ニコール巡礼したと言っていたが、それは両親の嘘であったニコールはその嘘を看破する両親ドミニコ修道会修道士相談する解決できず、修道士ニコール教会に連れて行く。 1566年1月4日ランのジョン・ルボー司教解決当たろうとすると、ニコール最初守護天使自称するが、司教祈りによって、ニコールの体を乗っ取ったベルゼブブであると正体明かす。噂が広がって1月24日ニコールラン大聖堂運ばれるときは行列ができ、それからは毎日2,000人もの見物人詰めかけるようになった最終的にはのべ15万人とも)。 悪魔払いが行われたが、ニコール症状ひどくなるばかりで、口が動いていないのに男の声がして見物人たちの罪の秘密つぎつぎと暴露した。そのため懺悔行列ができた。ルボー司教悪魔払い聖餅を使うと、ニコールは動かなくなりベルゼブブニコール左腕逃げ込み左手硬く閉じられた。人々ニコールの足に針を刺したが、ニコールは何も感じなかった(後の魔女裁判審判法として魔女は針の痛み感じないとされた)。 その後ベルゼブブ22もの仲間連れて復讐舞い戻りいろいろな悪魔代わる代わるニコールの体を乗っ取りさまざまな言語話した。やがてニコールの体が宙に浮く奇跡起きたその後悪魔払い続けられ2月8日金曜日の午後3時、ようやく硬直していた左手がひらかれ、ニコールは黒い息を吐きベルゼブブ去った。なお、ニコール1566年9月出産している。子供ベルゼブブの子供と推測され、ニベルコルと名付けられた。その後ニベルコルはすくすく育っていったようだ。ニベルコルは妥当に考えればニコール夫の子供だが、悪魔祓い集まった聖職者の子供だと指摘する人もいる。さらに1577年11月にもニコール悪魔取り憑かれた。1577年悪魔憑きニコール失明したが、教会は何もせず、誰にも相手にされなかったという。 事件起こった十六世紀半ば宗教改革によりカトリック権威失墜していた時期であり、「ラン奇跡事件カトリック教会使用する聖餅の力を印象づけ、教会権威づける演出であり、失墜し始めたカトリック教会権威取り戻すための見せ物であったではないかという研究者の説がある。

※この「記録された事件 ランの奇跡」の解説は、「ベルゼブブ」の解説の一部です。
「記録された事件 ランの奇跡」を含む「ベルゼブブ」の記事については、「ベルゼブブ」の概要を参照ください。

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