解釈学の応用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 07:41 UTC 版)
「バイオリンはどうして出来たか」の記事における「解釈学の応用」の解説
音楽療法士で民話と音楽の関連の研究家でもあるローゼマリー・テュプカー(ドイツ語版、英語版)は、この物語についての現代の聴衆の反応をデータにとり、解釈学を用いて解析を試みている。手法としては研究対象者から物語全体についての感想に加え、各テーマ(貧困、子宝に恵まれない夫婦、裕福な王とその美しい王女、前人未到の事績の達成)についての意見を収集している。 テュプカーによれば、これは「貧困と富裕」など、対極する世界を描く物語である。裕福な王は、王女を物品のように所有・支配し、その心情を汲むことはせず、意のままに褒賞として利用する。ここでは物欲、成功と挫折、英断などがテーマとなっており、物語中では競技の場面がその最たる例である。そして世の中無理なものはしょせん無理なのであって、老婆や妖精など魔法の助力がなくばおいそれと達成はできない。 そうした競争社会と隔絶した世界が、すなわちヴァイオリンの世界であるが、ここでは単なる楽器というより、音楽の黎明そのものを意味している。心動かされ、互いの心の琴線に触れ、視覚にも聴覚にも訴える刺激が「世にも初めてのもの」として披露されたことを、この物語は、象徴している。 このおとぎ話は、性欲のない世界における男女共存も表象している。精神分析学の観点からすれば、「生殖性(英語版)」(または「世代発生性」ドイツ語: Generativität)や、トライアンギュレーション(英語版)の領域である。感情に訴える音楽家の力とは、王の権力と根本的に異なっている。 貧しい青年も、王女も、不完全な家庭という境遇にあることが指摘される。青年の両親のうち夫のほうは「父親」として紹介されることはなく、王女の母親はまったく登場しない。 ヴァイオリンは、笑いと涙、喜楽と悲哀、愛と死という二元性を表現できる、感情的な楽器とされている。しかし、おとぎ話と違って、現実には長年の練習を経ずには、そうした感情を聴衆に伝えるには至らないものである。
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