西鉄ライオンズ研究会とは? わかりやすく解説

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特定非営利活動法人西鉄ライオンズ研究会

行政入力情報

団体名 特定非営利活動法人西鉄ライオンズ研究会
所轄 福岡市
主たる事務所所在地 福岡市早良区室見5丁目13番8号
従たる事務所所在地
代表者氏名 内山 純
法人設立認証年月日 2011/01/25 
定款記載され目的
この法人は、プロ野球愛す全てのに対して、「西鉄ライオンズ」を中心に、その偉業とそれに関わった地域人々様々な活動伝承する事業行い地域世代超えた豊かなコミュニケーション造成寄与することを目的とする。 
活動分野
保健・医療福祉     社会教育     まちづくり    
観光     農山漁村中山間地域     学術・文化芸術スポーツ    
環境保全     災害救援     地域安全    
人権・平和     国際協力     男女共同参画社会    
子どもの健全育成     情報化社会     科学技術振興    
経済活動活性化     職業能力雇用機会     消費者保護    
連絡助言援助     条例指定    
認定
認定・仮認定
認定   認定   旧制度国税庁)による認定   認定更新中  
PST基準
相対値基準     絶対値基準     条例指定()    
認定開始日:       認定満了日:       認定取消日:   
認定年月日:    認定満了日:    認定取消日:   
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解散年月日  
解散理由  

西鉄ライオンズ研究会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 02:08 UTC 版)

特定非営利活動法人西鉄ライオンズ研究会(とくていひえいりかつどうほうじん にしてつライオンズけんきゅうかい)は、プロ野球団・西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の歴史を後世に伝えることを目的として運営している、福岡県特定非営利活動法人である。

概要

ライオンズが本拠地を福岡県から埼玉県に移転した1979年に任意団体として設立。

ライオンズは1950年から、西日本鉄道(-1972年)、太平洋クラブ1973年-1976年[1]クラウンガスライター1977年1978年[2]と、経営母体やスポンサーが入れ替わりながらも28年間、九州唯一のプロ野球団として運営されてきた。

西武鉄道グループに買収され埼玉県への移転が決まると、関東在住の西鉄時代からのライオンズファンである4人が、「本拠地を埼玉に移すのであれば、ライオンズの名称は福岡に残すべきだ」と、西武球団(法人格を引き継いだ株式会社西武ライオンズ)や西武鉄道国土計画など西武鉄道グループに球団名の変更を嘆願するなどの行動を起こした[3][4]

しかし、このライオンズのニックネームを奪還するにはもっと多くの人たちの協力が必要と、九州在住・出身者を中心としたライオンズファンによって、「ライオンズを福岡に残す」他、「福岡を本拠とする新チームを作る」「池永正明氏の永久追放処分を解除を求める[5]」ことを念頭に「西鉄ライオンズ研究会」が設立され、1979年7月、発会式が行われた[6]

この取り組みは、多くのマスコミに取り上げられ、また福岡県内でプロ球団誘致のための署名活動や、西鉄OBと芸能人、地元の草野球愛好家による、交流野球大会などを開催した[7]

その後、1989年に福岡に本拠地を置くプロ野球チームが10年ぶりに復活(福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス[8][9]したことや、福岡のライオンズが終焉して30年が経過し、これまで福岡本拠地時代の歴史をタブー視してきた西武グループ・西武球団・西鉄グループ側が経営体制・企業情勢などの変化により球団史を再評価・重視する方針に転換した一方、稲尾和久仰木彬ら西鉄時代を知るOBの他界も相次いだことから、福岡の文化・歴史的遺産といえる西鉄ライオンズの歴史を後世に伝えることを目的として同研究会をNPO法人化することを目指し[6]、2010年に法人登記申請をし、2011年には特定非営利活動法人に認証された[10]

代表者は、近年ファンが手放したとされる福岡のライオンズ時代の選手のサイン色紙やスポーツ新聞の記事などの歴史的遺産が骨董品店やネットオークションに売買取引されることや、その選手、あるいは任意団体時代の役員が相次いで他界する中での淋しさを感じ、後世に福岡のライオンズを語り継ごうとNPO設立についての経緯を述べており、ファンからの福岡のライオンズの関連グッズの提供や、平和台野球場小倉球場などの歴史遺産を巡るツアーなどによるイベントを展開。また、稲尾和久の遺品についても、長女が「トラック1台分」に相当する遺品を提供する計画がある[10]

脚注・出典

  1. ^ クラウンライターライオンズ時代の1977年-1978年も、サブスポンサーとして資金援助を継続していた。
  2. ^ 太平洋・クラウン時代の実際の経営は球団を買収した中村長芳の個人オーナー企業となった福岡野球株式会社(西鉄野球株式会社から社名を変更)が行い、両社は筆頭の冠スポンサー(命名権)扱いで経営には直接関与していなかった。
  3. ^ 日本プロ野球では、過去に存在した球団名を、当該球団の系譜が存続している時期に別の系譜の球団が使用した実例がない。
  4. ^ NFLでは、旧クリーブランド・ブラウンズボルチモアに移転する際、クリーブランド市民から訴訟に発展するほどの反発が起きたことから、ブラウンズの歴史と球団名はクリーブランドに残し、エクスパンション時にそれらを受け継ぐ形で再発足した。一方移転した旧ブラウンズはボルチモア・レイブンズの名称で、過去の歴史を引き継がずに「新球団」扱いとした、という例がある。
  5. ^ 2005年に復権し、野球界に復帰。社会人野球「山口きららマウントG」監督や、地元放送局での特別ゲスト解説者を務めた。
  6. ^ a b 法人概要
  7. ^ 研究会の歴史
  8. ^ 前身は、南海電気鉄道(戦中戦後の一時期は近畿日本鉄道)傘下で大阪府を本拠とする南海ホークス(球団名:南海軍→近畿日本軍→近畿グレートリング→近畿日本ホークス→南海ホークス、法人名:南海野球株式会社→株式会社南海ホークス)だった。
  9. ^ 福岡移転後のホークスには、かつてライオンズの経営母体だった西日本鉄道をはじめとした西鉄グループの企業数社がオフィシャルスポンサーに名を連ねている(球団公式サイト『オフィシャルスポンサー』参照)。
  10. ^ a b “「野武士軍団」語り継ごう 西鉄ファンがNPO法人設立へ”. スポーツニッポン. (2011年1月15日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/01/15/kiji/K20110115000053340.html 

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