西洋の伝統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:34 UTC 版)
古代の思索家たちは詩を定義しその質を評価する手段として分類を用いた。とりわけ、アリストテレス『詩学』の現存する断片は詩の3つのジャンル――叙事詩、喜劇、悲劇――を記述し、それぞれのジャンルでその基礎となる目的に基づき最高品位の詩を見分けるための規則を展開している。後世の美学者たちは喜劇と悲劇を劇詩の下位ジャンルとして扱い、叙事詩・抒情詩・劇詩を3大ジャンルとした。 アリストテレスの仕事はルネサンス期のヨーロッパのみならず、イスラム黄金時代の中東全域にも影響を及ぼした。後の詩人や美学者たちはしばしば詩を散文と区別し、散文とは反対のものであるとして詩を定義した。散文は概ね、論理的な説明への傾向と線形的な物語構造を持つ著作として理解されていた。 これは詩が非論理的であったり物語を持たなかったりすることを意味するのではなく、むしろ詩とは論理的もしくは物語的な思考過程に忙殺されることなく美や崇高を表現する試みなのである。イギリスのロマン主義詩人ジョン・キーツはこの論理からの脱出をネガティブ・ケイパビリティ(en:Negative Capability、「消極的能力」)と呼んだ。形式は抽象的なものであり意味上の論理とは別個なものであるので、この「ロマン主義的」なアプローチは形式を詩の成功の鍵となる要素と見ていた。このアプローチは20世紀に至るまで影響を残した。 この時期にはまた、ヨーロッパの植民地主義の拡大とそれに伴う世界的な交易の増大のためもあり、さまざまな詩の伝統がさらに相互に影響を与え合った。翻訳のブームに加え、ロマン主義の時期には数多くの古代の作品が再発見された。
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