西洋の人格主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/20 23:06 UTC 版)
古代哲学において最初に人格を発見、意識したのはソクラテスであると言われている。中世哲学では、ボエティウスやトマス・アクィナスがキリスト教の人格的な神の観念のもと、人格の尊重を唱えたが、今日の言う人格主義であるかは問題である。 近世哲学において、人格主義を最初に表明し、その基礎を築いたのはイマヌエル・カントである。カントは『人倫の形而上学の基礎』(1785年)において、「人格の尊厳」(die Würde der Person)を打ち出した。そこから人格は単に手段としてではなく、目的として扱われなければならない、とする有名な原理を導出する。カントは人格(Person)と人格性(Persönlichkeit)を区別する。カントは学問、道徳、芸術の総合として人格を捉えた。カントの説く道徳は人格を尊ぶあまりの厳格なものとなった。 カントの人格主義を継承してそれを発展させたのは、イギリスにおいてはイギリス理想主義(British idealism)であり、その代表はトーマス・ヒル・グリーン『倫理学序説』(1883年)である。ドイツにおける継承者は、一方でテオドール・リップス『倫理学概論』(1899年)、ルドルフ・クリストフ・オイケンであり、他方で新カント派(Neukantianer)のパウル・ナトルプとマックス・シェーラーである。ナトルプは『一般教育学』(1905年)、『社会的教育学』(1921年)において、シェーラーは『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』(1916年)において、人格主義を主張した。 フランスにおいては、フランス人格主義(personnalisme)があり、その代表はシャルル・ルヌーヴィエ『人格主義』(1903年)、エマニュエル・ムーニエ『人格主義』(1949年)である。ムーニエが創刊した機関紙『エスプリ』を中心に結集した「1930年代の非順応主義者」と呼ばれる一群の知識人たちは、少なからず人格主義の思想の影響を受けている。その一人として、例えば、後に先駆的な技術社会批判を展開したプロテスタントの思想家、ジャック・エリュールがいる。
※この「西洋の人格主義」の解説は、「人格主義」の解説の一部です。
「西洋の人格主義」を含む「人格主義」の記事については、「人格主義」の概要を参照ください。
- 西洋の人格主義のページへのリンク