西武百貨店改革とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 西武百貨店改革の意味・解説 

西武百貨店改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:27 UTC 版)

和田繁明」の記事における「西武百貨店改革」の解説

1992年6月バブル崩壊顕著となる中で、西武百貨店医療機器事業部における架空取引事件発覚し社員2名を含む計5名が逮捕される事態となった社内騒然と百貨店信用大きく傷つき、経営危機ピーク達した同年7月には堤から百貨店立て直し要請され代表取締役会長として復帰同年10月には山中鏆松屋東武百貨店社長歴任)が「百貨店業界はもちろんのこと産業界震撼させた」と評した和田の筆による社内報かたばみ特別号である『西武百貨店白書』が刊行された。その内容一貫して経営陣批判綴られ檄文であった。これは静岡県開催され幹部社員向けの研修採録されたもので、同白書西武百貨店社員対象発行されたものであったが、社外秘扱いされた形跡もなかったため流出し思わぬ波紋呼んだ和田は西武百貨店改革にあたって社員徹底した意識改革求め同年12月には一連のお約束広告」の第一弾となる「まず、4月新学期までに、商品包み方の一番じょうずな百貨店なります」の文言記載されポスター店頭等に貼り出された。さらに人員整理不採算店の閉鎖加えて1993年4月には全役員降格人事断行自身社長となり、社長であった水野誠一副社長降格した。また大ナタ振ってマネジメント改革推し進め、チェーンオペレーションを百貨店導入しようとしたが、各店舗で独自だった包装紙等を共通化するにとどまった。 そして1995年3月には既存店舗業態革新端緒として、食品売場廃止してファッション専門大店への転換を図るべく有楽町西武改装着手。クラブ・オン ポイントシステム先行導入しバックシステムに工夫凝らした同店は、改装から2年後には一時的に単年度黒字転換した不採算店舗閉鎖進めるうちに、1996年2月期にはなんとか4期ぶりに黒字転換その後4期連続増収増益達成させ、西武百貨店経営復調印象づけた。 和田はこのほか、堤が「時代精神根拠地宣言の下に開館した西武美術館後身となるセゾン美術館閉館決断し1999年に同館は閉館した和田閉館にあたって新聞記者取材対し美術館役割終わったんじゃないですか。僕はそう思います。」と述べた百貨店文化事業部取り仕切り常務歴任した紀国憲一は「そう言い切ったことは立派である思う。」と評した取材では他に「あなたはイエスマンばかり重用していると言われているが」との新聞記者問いかけに「自分をよく理解してくれる人間重用しているだけだ。そういう人をイエスマン呼んでもらっては困る」と返し早大弁論部出身ならではの詭弁」を展開することもしばしばであった米国デザイン会社キャリソン・アーキテクチャ社のプランニングのもとに、有楽町西武皮切りに渋谷店次いで静岡店進めた店舗改装も、店内通路あまりに広くとるキャリソンの手法が地方店では集客につながらず、また和田の提唱したチェーンオペレーションという名の商品部主導による画一的マーチャンダイジング失敗とも相まって改装後1年待たず売上高前年割れ起こす店舗続出し改装したものの数年で閉鎖という閉店ドミノ生じ一因ともなった後述する「再生象徴そごう心斎橋本店開店後わずか4年閉店している。

※この「西武百貨店改革」の解説は、「和田繁明」の解説の一部です。
「西武百貨店改革」を含む「和田繁明」の記事については、「和田繁明」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「西武百貨店改革」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西武百貨店改革」の関連用語

西武百貨店改革のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西武百貨店改革のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの和田繁明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS