西日本鉄道時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/07 15:19 UTC 版)
「博多湾鉄道汽船コハフ1形客車」の記事における「西日本鉄道時代」の解説
西日本鉄道成立後に実施された車両記号改訂・車番整理によって、デハ12はモ1形3と、デハ14・15はモ10形16・17とそれぞれ改番されたほか、客車のまま残存したコハフ4について電動車化改造が実施され、モ13と改称・改番された。 ク52(初代)は事故により1953年(昭和28年)8月5日付で廃車となった。またモ3は1960年(昭和35年)に休車となり、翌1961年(昭和36年)に帳簿上でのみク52(2代目)に改番し、ク53は1963年(昭和38年)7月10日付で手続上は廃車の措置がとられた。 1961年(昭和36年)から1963年(昭和38年)にかけて九州車両にて鋼体化改造が実施された。ク51・54はそのままの番号で鋼体化され、ク52は正式に制御車に改められて鋼体化された。既に廃車となり車籍が抹消されていたク53については、国鉄買収気動車の払い下げ車であったク50形57(初代)の車籍を継承し、ク57(2代)として鋼体化改造が実施された。 新車体は張り上げ屋根構造・全金属製の2扉車体で形態が統一され、電動車は両側妻面に運転台を備える両運転台構造とし、制御車は片運転台構造とした。なお、鋼体化改造に際しては種車の台枠を流用し車体を新製したことから、種車の別によって各部寸法が異なるほか、鋼体化時期の相違によって側窓の構造が異なり、後期に鋼体化改造を実施した車両は側窓上段をHゴム固定支持としたいわゆるバス窓構造の2段窓が採用された。 宮地岳線の車両近代化を目的として、1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)にかけて大牟田線から120形・300形・313形が転属したことに伴って、湾鉄コハフ1形として導入された各車両は1981年(昭和56年)までに全車廃車となった。
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