西岡力による批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:09 UTC 版)
西岡力は1992年4月文藝春秋 に掲載した論文『「慰安婦問題」とは何だったのか』で、植村が「女子挺身隊」と書いた事を「重要な事実誤認」としている。1998年の『闇に挑む!』では「まったくの嘘」「事実無根の主張」「まったくの捏造報道」「意図的な捏造報道」「厚顔無恥さは許し難い」としており、2007年の『よくわかる慰安婦問題』では「意図的な捏造」「植村記事の悪質な捏造報道」「平気でウソを書く新聞記者」としている。2014年、週刊文春からの取材に対して「植村記者の記事には『挺身隊の名で戦場に連行され』とあるが、挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦とは全く関係がない。しかも、このとき名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状を書き、韓国紙の取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントしたこと に対して、植村は「捏造記事」という発言は名誉棄損であると訴訟を起こした。訴えられた事について西岡は、根拠を持って捏造と書いたもので、「これは言論の自由の範囲であって、裁判所にどちらが正しいか決めてもらう性質のことではない。」とし「『捏造と言われても過言ではない』という評価を変える必要を感じない。」と主張している。 また西岡は朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会の報告書の中で、金学順は植村が入手した証言テープにおいても、その後の記者会見や講演、日本政府を相手に起こした裁判の訴状でも、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され(た)とは語っていない。植村は本人が語っていない経歴を作って記事に書いた。女子挺身隊とは国家総動員法による公的制度であるうえ、吉田清治が済州島で軍の命令により女子挺身隊として朝鮮女性を動員したと証言していたために、植村が記事を書いた1991年の時点では、「朝鮮人慰安婦は女子挺身隊として連行された」という学説が影響力を持っていた。もし女子挺身隊の名で戦場に連行された元慰安婦のうちの1人が生存していたことが分かったなら、吉田清治の証言を裏付ける証人が出てきたことになる。その意味で日韓のマスコミの中で最初に朝鮮人元慰安婦生存を報じた植村の記事は大変注目されるものだった。そこで本人が話していない経歴を付け加え、あたかも吉田証言が裏付けられたかのような印象を作った。加害者に加えて被害者も出てきたことになりそれが強制連行プロパガンダの大きな構成要素となったと、植村の責任を糾弾している。
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