西側の集団への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/15 14:40 UTC 版)
「ヴァールブルクの戦い」の記事における「西側の集団への攻撃」の解説
迂回した連合軍の部隊が目的地に着いた頃には、正午を過ぎていた。右翼集団はネルデを経由してオッセンドルフに至り、そこで正面を南に向けて陣形を組む。それと同時に左翼集団はオッセンドルフとメンネの間で陣形を整えた。土地の広さに限りがあったので、騎兵部隊は二つの歩兵集団の後ろに配置されなくてはいけなかった。その間にヘッセンのフート中佐率いる連合軍重砲部隊は、フランス軍の陣地に向けて砲撃を開始する。 右側の集団ではベックウィズ中佐率いるイギリス軍の擲弾兵2個大隊が先頭を進んでいた。これらに圧迫されたいくつかのフランス軍前哨部隊は、ムイ中将(ドイツ語版)に連合軍の目標が、中世以来の塔が立つハインベルクにあると思われる旨を報告した。ムイ伯はひとまず、「ブルボネーズ(フランス語版)」歩兵連隊に所属する1個大隊を高地に差し向け、対応した。これを阻むべく、連合軍は急行軍でフランス軍に先んじようと試みる。ベックウィズ中佐は自ら擲弾兵10名を率いて先行し、その後を公世子が30名の兵士とともに追った。そして丘陵の頂上に接近したフランス軍の大隊は、激しい防御砲火に迎えられる。相手の兵力が不明だったため、フランス側の指揮官は連隊の第2大隊の到着を待つべく前進を停止する。こうして過ぎ去った数分間は、イギリスの「ドゥーラット」擲弾兵大隊の全兵力によるハインベルクの占領を許した。その後「ブルボネーズ」大隊は攻撃を改めて開始し、間もなく同名の旅団も全力でそれに加わる。倍の兵力を擁するフランス側は程なくしてイギリス側を後退させたが、イギリス軍の「マクスウェル」連隊に属する各大隊が到着すると情勢は再び元に戻った。危機を察知したムイ中将は「ブルボネーズ」旅団にハインベルクの占領を命じる。そして同旅団はひとまず、イギリス側の大隊の撃退にも成功した。ムイ伯は、さらに「クーロンヌ」と「ルエルグ」の各旅団をも呼び寄せた。 しかしその間に、これまでは砲兵部隊によってオッセンドルフ付近に押し止められていた連合軍の右翼集団に属する諸大隊が到着する。左翼集団の各部隊は急いで陣形を組み、全軍による進撃を待たずに攻撃を開始した。ヘッセンの第4近衛連隊の各大隊はここでオッセンドルフの東側にあり、スイス人連隊、「イェンナー」と「プランタ」が防衛する高地へと転じる。ハノーファーとヘッセンの各隊に圧迫される中、フランス軍の左翼は徐々に後退する。それから間もなくして、イギリスの王立竜騎兵連隊と第7軽竜騎兵連隊が敢行した攻撃は、フランス軍の戦列に決定的な衝撃を与えた。 ムイ中将は、自陣が保持できなくなったことを見て取り、退却の準備を下令する。右翼の2個旅団は出発し、ディーメル川の南岸に要撃陣地を敷くこととされた。騎兵もその後に続くよう命令を受けた。
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