複姓の物部氏
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物部氏には、「物部+地名」や「物部+職業」といった複姓を持つ一族がいた。ただし、これら複姓の物部氏が全て物部連と同族であったかは不明である。 物部飛鳥氏『新撰姓氏録』によれば、無姓で饒速日命の6世孫・伊香色雄命の後裔。飛鳥は大和国の飛鳥ではなく、河内国安宿郡が由来。 物部海氏連姓で、出自は不明だが、『続日本紀』延暦9年10月条に、女孺の従七位上物部海連飯主の名前が見える。 物部伊勢氏連姓で、『日本書紀』継体9年2月条などに、百済へ派遣された物部伊勢連父根の名前が見える。伊勢国を本拠地とした。 物部射園氏連姓で、『続日本紀』によれば、神亀元年5月に正六位上物部用善が物部射園連の姓を賜ったという。『続日本紀』天応元年6月条によれば、正六位上から外従五位下に叙せられた物部射園連老がいる。射園の由来は不明だが、『新抄格勅符抄』大同元年(806年)神封部には「射園神(石園座多久虫玉神社)一戸美乃」と記されている。 物部鏡氏連姓で、由来は土佐国香美郡。『続日本紀』延暦24年8月などに、香美郡少領の物部鏡連家主の名前が見える。 物部韓国氏連姓で後に辛国と号した。『続日本紀』延暦9年11月条には、韓国連源が「是物部大連等之苗裔」で、「源等先祖塩児、以父祖奉使国名故改物部連為韓国連」と記されており、朝鮮(韓国)に派遣されたことが由来。韓国連源のほか、役小角に師事し、『続日本紀』天平4年10月条に見える韓国連広足や、延暦8年正月条に見える物部韓国連真成がいる。 物部浄志氏朝臣姓で、物部浄之とも記す。『続日本紀』天平神護2年10月条に、僧基真にこの氏姓を賜ったことが記されている。 物部志太氏連姓で、『続日本紀』養老7年3月23日条に、常陸国信太郡の物部国依が信太連の姓を賜ったとある。また、『続日本紀』延暦5年10月21日条に外従五位下の位階を授かった常陸国信太郡大領の物部志太連大成が見える。由来は常陸国信太郡。 物部斯波氏連姓で、『続日本後紀』承和2年2月条に、吉弥侯宇加奴、吉弥侯志波宇志、吉弥侯億可太らに物部斯波連の姓を賜ったと記されている。『日本三代実録』元慶5年5月条には、物部斯波連永野の名前が見える。由来は陸奥国斯波郡。 物部匝瑳氏連姓で、承和2年3月以降宿禰姓も現れる。由来は下総国匝瑳郡。物部匝瑳連足継、物部匝瑳連熊猪、匝瑳宿禰末守は鎮守府将軍に任じられている。物部小事の後裔を称し、『続日本後紀』承和2年3月条よれば、物部小事が坂東に出征し、後に匝瑳を拠点としたという。 物部多芸氏連や宿禰姓で別名は物部多芸。由来は美濃国多芸郡。『続日本紀』宝亀8年11月条に平城京の左京に住んでいた多芸連国足らに物部多芸宿禰を、美濃国多芸郡の物部坂麻呂らに物部多芸連の姓を賜ったと記されている。 物部中原氏宿禰姓。『日本後紀』弘仁4年正月条に、三河国人の物部敏久に物部中原宿禰の姓を賜ったと記されている。物部氏族の参河国造の後裔。由来は三河国の中原。 物部文氏連姓で、『日本後紀』弘仁元年正月に、土佐国香美郡少領の物部鏡連家主の妻・物部文連全敷女の名前が見える。由来は不明。 物部間氏無姓で、間の由来は不詳。『新撰姓氏録』によれば饒速日命の後裔とされる。 物部屋形氏無姓で、清和天皇の時代に尾張国の笛吹部高継が本姓の物部屋形に復したという。『先代旧事本紀』天孫本紀によれば、宇摩志麻治命の14世孫・物部麻伊古連公や同15世孫・物部毛等若子連公の後裔とされる。 物部依網氏連・朝臣姓で、『日本書紀』推古16年8月条に物部依網連抱、同31年条に物部依網連乙等、同斉明3年条に依網連稚子、『続日本紀』天平4年5月条に物部依羅連人会の名前が見える。『新撰姓氏録』や『先代旧事本紀』、系図史料によれば、祖は多波連公とその甥・呉足尼連公の二人が伝えられる。 物部若宮部氏無姓で、『肥前国風土記』三根郡物部郷条によれば、推古期に来目皇子を将軍として新羅を討たようとしたとき、物部若宮部に当地に社を立てさせ経津主神祀ったという。
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