葺石の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 10:53 UTC 版)
戦前の発掘調査においては、葺石そのものを精査する作業は皆無に等しかった。葺石研究に科学的な検証作業が採り入れられ、また入念に図化作業がなされるようになったのは戦後の学術調査においてであった。 1953年(昭和28年)、近藤義郎を中心に岡山県美咲町(当時飯岡村)の月の輪古墳の発掘調査がなされ、高さ10メートル、直径60メートルの規模を有する古墳全体の4分の3の外表面が調査された。1960年(昭和30年)刊行の報告書では、葺石分布の範囲、形・大きさ、岩石学的検討、葺き方の技術的検討などが報告され、構成する石は1個単位で丹念に図示されており、月の輪古墳で使用された石の数は総数約8万個と推定している。 戦後急増した、遺跡の破壊をともなう大規模開発にかかわる緊急発掘調査では、記録を保存するためにかえって徹底的な調査がおこなわれることとなった。このような調査の初期の成果としては、原口正三と西谷正による大阪府高槻市の弁天山C1号墳の調査がある。1967年(昭和42年)刊行の弁天山古墳群の発掘調査報告書では、葺石の積み方、単位面積あたりの使用個数と重量測定、葺石の石材採取地と搬入ルートの探索などの検討がなされており、これについて青木敬は、そののち本報告書以上に葺石について検証作業を積み重ねて調査成果をあげた報告書はほとんど現れなかったと述べている。 葺石の調査については、こんにち本格的な土木技術に関する知識が要求されるようになってきている。また、科学的な定性化・定量化の可能な調査記録の方法として、石塚久則は、 古環境調査 土質調査 構造工学調査 材料調査 葺石の構造調査 石積の施工 を掲げている。
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