葺合バプテスト教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 02:33 UTC 版)
「日本基督教団神戸聖愛教会」の記事における「葺合バプテスト教会」の解説
1895年(明治28年)タムソン宣教師夫妻は、小野浜の地で「善隣幼稚園」を開園すると同時にその場所で、キリスト教の伝道を始めた。善隣幼稚園は神戸で2番目に古い歴史をもつ幼稚園で、港湾労働者など困難な家庭環境のこどもたちのために始められた日本で最初の福祉的幼稚園であったとされている。その後、神戸葺合講義所(現在の伝道所)が開設され、1907年 (明治40年)頃に小野柄通4丁目に移転。それまで神戸バプテスト教会に付属していたが1911年(明治44年)10月に分離独立して北部バプテスト・ミッションの直属となった。1919年(大正8年)11月、教会設立して葺合バプテスト教会となる。1927年(昭和2年)10月、神若通6丁目で新会堂を献堂。善隣幼稚園と協同して、神戸東部の賀川豊彦が新生活運動の拠点とした生活困窮地区の伝道に当たった。現在、賀川記念館の所在地に善隣幼稚園があったが、同地を賀川の働きのために無償で譲渡することとなったため善隣幼稚園の移転地が必要となり、幼稚園と教会の建物を合同させ1937年(昭和12年)5月、葺合区国香通六丁目7でウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の葺合教会・私立善隣幼稚園の献堂を行った。教会は東部組合に所属していたが、1940年1月、東部組合が西部組合と合同してバプテスト教団となると、名称を日本バプテスト葺合基督教会に改称した。さらにバプテスト教団は、1941年、宗教団体法によって設立された日本基督教団に第4部として加盟し、それにより教会名は神戸葺合教会と改称した。1945年6月、神戸大空襲により会堂を焼失し、礼拝の継続は困難となった。
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