神戸バプテスト教会
神戸バプテスト教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 02:33 UTC 版)
「日本基督教団神戸聖愛教会」の記事における「神戸バプテスト教会」の解説
米国北部バプテストから宣教師として派遣されたヘンリー・ホルコム・リース(Henry Holcombe Rhees、1828-1899)が、東京から神戸に転任し1882年(明治15年)3月1日、北野町4丁目外五番館の自宅に「神戸浸(しずめ)教会」を設立した。関西で最初のバプテスト教会であった。1888年(明治21年)ロバート・オースチン・タムソン(Robert Austin Thomson、1860-1932)宣教師が来神し、彼は1889年(明治22年)メソジスト監督派教会の女性宣教師、ギャゼリー・マリア・ルロフソン(Gazelle Maria Rulofson、1850-1932)と結婚した。1892年(明治25年)5月、下山手通三丁目に会堂を献堂した(1945年戦災焼失)。教会の名称は神戸浸教会から、神戸浸礼教会または神戸バプテスト教会と称されていたが、1913年(大正2年)1月、正式に神戸バプテスト教会と改称した。教会は日本バプテスト東部組合(東部組合)に所属していたが、1940年(昭和15年)1月、東部組合が日本バプテスト西部組合(西部組合)と合同して日本バプテスト基督教団(バプテスト教団)となると、名称を日本バプテスト神戸基督教会に改称した。さらにバプテスト教団は、1941年、宗教団体法によって設立された日本基督教団に第4部として加盟し、それにより教会名は神戸下山手教会と改称した。1945年6月、神戸大空襲により会堂を焼失し、その後2年間余、信徒の家、啓明女学院の教室などを転々として主日礼拝を継続した。1947年(昭和22年)11月、GHQから与えられた2棟のコンセット・ハット(かまぼこ兵舎)によって葺合教会の焼け跡の一部に仮設会堂を建設し献堂式を行った。
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