神戸ハーバーサーカス時代
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「神戸ハーバーランドセンタービル」の記事における「神戸ハーバーサーカス時代」の解説
人材派遣会社のパソナの創業者・南部靖之の資産管理会社「南部エンタープライズ」が、運営会社に全体の70%以上を出資。あわせて同氏の知人のベンチャー経営者が率いる大手企業も出資して『神戸ハーバーサーカス』が1996年(平成8年)4月に開業。阪神・淡路大震災で被災した多くの商店主らの受け皿となる「一坪ショップ」などを中心とした商業施設として生まれ変わった。 また、「エンターテインメントデパートメントストア」を標榜して店内に電車を走らせたり、ホテルと同様の「コンシェルジュ」を配置して来客の要望に対応したりしたほか、吉本興業によるステージ『吉本海岸通り劇場』や、後のビーズキス時代の核施設『神戸スイーツハーバー』の前身ともいえる『神戸洋菓子博品館』など、ユニークなサービスを展開したが、ハーバーランド全体が三宮や元町に比べて震災からの復興に後れを取ったため集客力が低迷。2002年(平成14年)までに、累積損失は約65億円に上った。 そのため、同年6月に映像制作などを手掛けるオメガ・プロジェクト(現在のソーシャル・エコロジー・プロジェクト)の資本参加を仰いで、店を舞台とした映画製作を行なったり、同年9月に放送用スタジオを設置して店内で番組を制作したりして、情報発信する新たな拠点作りを目指した。しかしオメガ社の構想は具体化せず、2003年(平成15年)8月17日にソフマップが近くのダイエーハーバーランド店(現在のumie・NORTH MALL)に移転するなどテナントの流出が続いたことから、2004年(平成16年)3月末に撤退することになった。
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