葷粥=匈奴説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:45 UTC 版)
『史記索隠』(唐代)に「楽彦『括地譜』は云う、夏の桀王は無道なため、殷の湯王により鳴条へ放逐され、三年して死んだ。その子の獯粥は桀王の妾を妻とし、北野へ避居して遊牧生活を始めた。中国はこれを匈奴と謂う。応劭『風俗通』は云う、殷の時は獯粥といい、改めて匈奴という。また服虔は云う、堯の時は葷粥といい、周は獫狁といい、秦は匈奴という。『三国志』韋昭伝は云う、漢は匈奴といい、葷粥はその別名」とあり、荀悦『漢紀』に「匈奴の始祖の名は薰粥氏、山戎獫狁はこれなり」とあり、『晋書』四夷伝(唐代)に「夏は薰鬻といい、殷は鬼方といい、周は獫狁といい、漢は匈奴といった」とあることから、葷粥と匈奴は同一のものであり、葷粥は匈奴の旧名であることがわかる。一方で、内田吟風は葷粥,獫狁,匈奴は同一系統の民族であっても、単にモンゴル高原で交代した別の種族であると否定している。しかしながら、葷粥や初期の匈奴に関する資料が少ないため、はっきりしたことはいえない。
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