荒木芳邦とは? わかりやすく解説

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荒木芳邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 03:28 UTC 版)

荒木芳邦(あらき よしくに 1921年 - 1997年)は、日本の造園家作庭家。 活動拠点は大阪関西地方ドイツに多くの日本庭園や公共造園作品を残している。

経歴

表彰等

  • 1969年 - 東京農業大学造園大賞
  • 1969年 - 日本造園学会賞 計画設計部門(大阪ロイヤルホテル造園計画他一連の造園設計)
  • 1978年 - ドイツ・ハンブルク市ウォリングパーク造園国際設計コンペティション1位入賞
  • 1985年 - 建設大臣表彰
  • 1992年 - 外務大臣表彰、勲五等瑞宝章
  • 1993年 - 第15回日本公園緑地協会北村賞
  • 1995年 - 日本公園緑地協会佐藤国際交流賞
  • 1997年 - 第15回日本造園学会上原敬二賞

作品業績

(日本でのもの)

日本国外の日本庭園

  • 在タイ日本国大使館(タイ・バンコク、1967年)
  • 韓国国立公園調査・農村公園構想(1970年)
  • 韓国日本大使館日本庭園(韓国ソウル、1971年)
  • 在韓 日本大使公邸庭園(韓国ソウル、1972年)
  • 米国日本大使館日本庭園(アメリカ合衆国ワシントンDC、吉田五十八が建築、1974年)
  • 在米日本国大使公邸庭園(アメリカ合衆国ワシントンDC、1976年)
  • 滝の庭 (アメリカ合衆国ワシントン州シアトル、1977年-1978年)
  • ハンブルク大学植物園 日本庭園(ドイツ・ハンブルク、1978年-1980年)
  • アウクスブルク市 日本庭園(ドイツ、長浜市と尼崎市が贈呈、1984年)
  • ハンブルク中央公園ウォーリングパルクブランテン・ウン・プローメン再生計画(国際コンペ1位、1985年)
  • ユーロフローラ86日本出展屋内展示(イタリア、1986年)
  • ハンブルク市国立植物園内ヤパニッシャーガルテン(ドイツ、1988年)
  • キューバ国立植物園内日本庭園(キューバ・ハバナ、1989年)
  • ハンブルク市ブランテン・ウン・プローメン日本庭園(ドイツ、1991年)
  • ニューオリンズ都市公園内日本庭園基本計画(アメリカ、1994年)
  • ミュンヘン再保険会社中庭及びメインホール(ドイツ、1995年)

作風

作品は共通して大胆で直截的な景色作りが行われていることが指摘されている。公園等、公共の空間であっても機能性を有しながら大胆な仕掛けを施すことで知られ、滝をダイナミックな階段状にしたり、自然風景式園に正円の園地を突如挿入したり、外来種を積極的に用いたカラフルでボタニナルな植栽の庭園など、従来の日本庭園作品にはみられない試みを実施。学会賞のリーガロイヤルホテルはプラスティック製の擬木/擬石での庭づくりを行っている[1]

また、層積みの一種である韓国式の石積は荒木積みといわれるほどまでになる[1]。 東京における業務空間のデザインは、本人の持つ力量に対して、意外とおとなしい意匠でまとめている印象があるという。

参考文献

脚注

  1. ^ a b “荒木芳邦(1921~1997)”. 造園家人名大辞典. E+S. http://www008.upp.so-net.ne.jp/landscape/dictionary/001.html 2016年11月25日閲覧。 



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