擬木での景観対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 23:00 UTC 版)
擬木も景観材として擬岩や擬石などと同様の用途として開発されたものにある。 井上 繁美 , 菅原 大輔 「擬木(<特集>公共空間-なんでこうなるの?) 」(『建築雑誌』 117(1483), 12-13, 2002年2月号)によると、日本国内では用途の90パーセントは道路構造物や公園などの公共空間に用いられているという。 同著は、こうした使用法をネガティブに捉えて論述されている。 札幌市が、造園工事標準図の参考図の、3.プラ擬木 を掲載しているなど、自治体の造園工事標準図に参考図が掲載されている。荒木芳邦も日本造園学会賞を受賞したリーガロイヤルホテル大阪滝の庭園では、プラ擬木を使用している。 以降、日本庭園にもさまざまに使用されており、東京農業大学の粟野隆が西日本方面の擬石・擬木を用いた近代和風庭園、甲子園の旧新田邸庭園や和歌山県海南市にある琴ノ浦温山荘園の庭園調査やなどを通して、日本においての擬石・擬木を用いた庭園技法と変遷を整理している。 また、左官的塾 web塗り壁の文化を伝える 近代の造園資材としての擬木、左官的塾 web塗り壁の文化を伝える 擬態、この不思議な世界、そして擬の技などで大体の変遷が読み取ることができる。これらでは、左官からの技術導入がなされたこと、そして、近代に庭園や公園が多数造営された東京、大阪など大都市圏で擬石・擬木の工法が近代造園家および造園技術者によって検討され始めたのを大正末期としている。 時期的には東京の庭師・松村重が椎原兵市にアイデアを持ち込むが、椎原は小林観山「椎原さんと擬木擬石作り」(『椎原兵市氏の業績と作品 所収、椎原兵市氏の業績と作品出版委員会、1966年)にあるとおり小林観山らと取り組み、大阪の天王寺公園和風庭園で擬石製滝石組(1933年)とともに、さらに民間の庭園にも導入していく。一方で松村は東京で井下清らと取り組み、東京の有栖川宮記念公園池泉擬石護岸および擬木橋(1934年)で成果を実らせる。このほかには、小川治兵衛の手がけた京都の都ホテル庭園でも擬石製滝石組(1933年)とともに、また同時期、洋風庭園を各所で手がけていた橋本八重三なども人造木と名づけて製造販売に取り組んでいる。 この他、1924年に建てられた富田林寺内町にある南葛原家別邸の門や、煉瓦タイル貼りの柱に棚を組んでつくったパーゴラにも擬木が使用されている。
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